青春18・城崎の旅(第1回)(03/01/10)            テキストのみの一括ダウンロードはこちら 


第一章 《和泉砂川(阪和線)〜京都》


 2003年の正月も、寝不足と退屈のうちに三が日が終わろうとしていた。
子供が中学校や小学校高学年となってくると、どこか遊びに行こうかと親が誘っても子供の方が尻が重く、暇だといいながら一日中コタツでテレビゲームに余念が無い。
 一家で大きな旅行をするには散財であるし、とかく何をするにも消化不良に終わってしまうのがサラリーマンの連休というものだ。

 そんな私のイライラを察してか、家内が「そんなら一人でどこか行ったらええやん、別にかまへんで」と嬉しいことを言ってくれるので、「青春18切符」でふらりと出かけることにする。
 ふらりと、とはいっても目的地は決まっている。城崎である。関西以外の方にはなじみが薄いかも知れないが、志賀直哉の私小説「城崎にて」でも知られる古くからの温泉地で、特急なら大阪から3時間足らずで行ける。夏は日本海での海水浴、冬はカニ料理、また一駅隣には奇岩で知られる玄武洞などみどころも多い。

              《行 程 図》
和泉砂川
  〜 京 都
城崎にて
京 都
  〜 園 部
玄武洞にて
園 部
  〜 城 崎
玄武洞
 〜 和泉砂川
     
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   【写真1】「雷鳥」の車内にて
  
(1971年8月)
     左が筆者、右は母。まだ特急とはいっても
  リクライニングシートなどないのが当たり前
  の時代だった


私事ながら、「城崎」という言葉には格別の響きがある。小学校4年の夏休みに家族旅行で連れて行ってもらった、懐かしい場所なのである。昭和46年(1971年)の8月であった。
 夏の家族旅行といえば近場の海水浴場でせいぜい1泊、が我が家の相場だったが、その時は2泊3日という豪華版だった。
 485系ボンネットタイプの「雷鳥」【写真1】で大阪を発つ。琵琶湖を見ながらサハシで食べたエビフライは今でも忘れられない。
 湖西線のない時代であったから米原経由で北陸線の敦賀に出て、さらに小浜線へと乗り継ぐ。美浜の民宿で1泊し、翌日は舞鶴線経由で城崎へ至りさらに1泊。特急にもDC急行にも存分に乗れて、電車少年としては夢心地なのだった。その時の映像は、我が家の記録として当時流行の8ミリフィルム(ビデオではなく映画フィルムだ)に文字通り焼き付いて、今も残っている。
 とにかく、優等列車を使わずに脚を伸ばせる範囲で、行ってみたいところといえば城崎しかない。本格的に再訪がかなえば32年ぶりになる。

 ただし、目的地は決まっていても、行程が確定しているわけではない。家内には「せっかくやからどこか気の向いたところで泊まるわ」といってあるが、実際泊まるかどうかはまだ決めかねている。一応、往復の行程はウェブ上の「ハイパーダイヤ」で検索した上で、時刻表で煮詰めてあるのだが。
 日帰りでも泊まりでも、気ままに使えて融通が利くのが「青春18切符」なのだが、「帰ってくるんかけえへんのか、出かける前にゆうといてな」という家内の方は融通が利かない。


 1月4日(土)、午前3時40分に起床。大晦日以来、連日夜更かししたので昨夜はやたらと眠く、おかげで早く床につく事ができたので今日は早起きも苦にならない。
 手早く身支度をし、トーストをかじりながらひとしきり時刻表で行程を再検討する。まだ泊まるかどうか迷っていたが、あさって6日(月)からは出勤である。前日くらいはやはり自宅でゆっくりしたいので、日帰りとすることに決めた。昨日の3日(金)に出発していれば日程にゆとりが出て泊まりも可能だったが、雨天のために順延したので仕方がない。「やっぱり今日帰ります」と家内に書置きをして、5時前に家を出る。


  ■第1ランナー  和泉砂川(5時16分発)〜 新大阪(6時22分着) B快速2102H(111系)
  ■第2ランナー  新大阪 (6時27分発)〜 京都 (7時00分着)  快速 702K(221系)




 【写真2】第1ランナー
   B快速新大阪行き 

          (和泉砂川)


 【写真3】
   B快速新大阪到着



 【写真4】第2ランナー 
     快速米原行き
             (京都)

 (C)Takashi Kishi 2003

 このB快速2102Hは阪和線の上り快速の中で唯一、新大阪へ直通する便利な列車である。復路に新大阪22時46分発の快速紀伊田辺行2995M(脚注)を組み合わせて使えば、ほぼ丸一日を東京で働いて日帰り出張が可能である(疲れるが)。
 夜も明けぬホームでは、何の用だか何人もこの列車を待っている【写真2】。そういえば今日あたり、Uターンのピークであるし、週末ながら今日から仕事という人もいるだろう。この列車とて、新大阪に到着すると折り返し6時29分発の快速紀伊田辺行として息つく暇もなく働くが、私は遊びのためにこれから城崎まで行く。

 とにかくひたすら眠って6時22分新大阪着。途中駅でほぼ満席になった車内から、皆一斉に新幹線へ乗り継いで行く【写真3】
 京都まで乗りつぐ快速【写真4】も新大阪到着時は結構混んでいたが、やはり新幹線への帰省乗り継ぎ客がどっと降りて車内は空き、私はボックスを占領した。
 ウイスキーの蒸留所で有名な大山崎あたりで夜が白み、朝焼けをバックに名刹・東寺 五重塔のシルエット【写真5】を右手に見て京都着。やたら眠い。早起きの反動が今ごろ出てきて体が重く、私は日帰りにしておいて良かったとすでに弱気になっていた。
【写真5】 東寺のシルエットを見て京都着
注 2995M:往年の夜行鈍行「はやたま」924レのスジをくむ、いわゆる「釣り列車」