青春18・城崎の旅(第2回)(03/01/11)


第ニ章 《京都〜園部》

 年末年始は各地からの帰省のための臨時列車が多い。時刻表で東海道線の京都近辺を開くと、中でも目を引くのは「ムーンライト」と名を冠した夜行の快速列車群である。
 「ムーンライト」といえば、新宿から新潟行きの165系夜行「ムーンライト越後」が思い出される。私はこれに乗って、大阪から矢板(栃木県)への出張途中に、週末を利用して佐渡まで壮大な寄り道をしたことがある。
 そして今時のムーンライト(以下「ML」)は勢力を拡大し、京都発着だけでも「ML高知」「ML松山」「ML山陽(下関行)」「ML八重垣(出雲市行)」「ML九州(博多行)」と、5往復・上下10本が運転されている。
 我が快速電車の京都着は7時ちょうど、「ML九州」は京都着が7時03分で、山陰本線の列車に乗り継ぐまでのわずかな間に、その姿を見ることができる。臨時の快速列車、どのような編成で運用されているのかぜひ見ておきたい。
 京都で下車して今乗ってきた車両の写真を撮り、1番ホームへ移動する。この間既に「九州」も到着しており、スキー列車「シュプール号」などに使われている14系座席車のアコモ改造型が充当されていた【写真6〜7】
 牽引してきたのはEF65−1133号機。到着してすぐさま連結を解放し、機回り線を経て素早く博多方へ付け替える。向日町(京都総合運転所)へ引き上げるのに違いない。

   「ムーンライト九州」


 【写真6】京都方
 機関車が離れた後の先頭車両は
 ゆったりしたラウンジカー。



 【写真7】博多方
 反対側は普通の14系の顔。




  ■第3ランナー 京都(7時14分発)〜 園部(8時13分着)  普通 227M(111系)




 【写真8】第3ランナー
     普通 園部行き


 ムーンライトの正体を見届けてから、山陰本線・32番ホームに移動。折りしも亀岡からの普通1222Mがヘッドライトを煌煌と光らせて到着し、これが折り返し園部行きとなる。【写真8】これもまた、早朝から多くの人を吐き出す。進行方向右手に席を取ったと思う間もなく、わずかな折り返し時間ですぐ発車する。ここから亀岡あたりまでは、みどころの連続で気が抜けない。

 まず発車して駅前のビル街を過ぎると、右手に公園のような広々とした平地が広がるが、よく見ると我が進路と公園の間に細々とした線路がもう一本現れる。その線路はやがて本線をアンダークロスして車窓左手へと移っていくが、その線路の消える先は、かの「梅小路蒸気機関車館」である。つまりこれは、SLが客車を2両ばかり連結して、体験試乗運転するための線路なのだ。もちろん、扇形車庫前で蒸気を上げる機関車の姿や、構内に移築・保存された旧二条駅舎(1904年建築、京都市指定有形文化財)の堂々たる姿も車窓から垣間見ることができる。


 その旧二条駅舎がお役御免となったのは、1996(平成8)年に二条〜花園間が連続立体交差となったことによるものだが、花園を過ぎて地平に降りた途端、梅小路のSLをそのまま走らせたいような、ひなびた「山陰本線」の匂いがしてくる。
 映画村で有名な太秦(うずまさ)かいわいの京の町並みは雑然と住宅が建てこみ、ごくありふれた地方都市の風景なのだが、これも千年の都の遺構の上に建っているかと思うと何やら風情が感じられないでもない。
 嵯峨嵐山を過ぎると、車内保温のためドアは半自動扱いとなる。嵯峨野の正月はシーズンオフなのか、夏の大混雑がウソのように静まり返った町並みを抜け、いかにも嵯峨野らしい竹林を切り通しでかすめてトンネルに突入
する。

 いくつか入っては抜けを繰り返し、新しくなった保津峡駅に到着する。眼下に見えるのは保津峡の清楚な流れと旧保津峡駅【写真9・10】で、山間を縫い、谷あいにしがみつくようにして走る単線の路盤を見ると厳粛さで言葉にならない。しかし、今もそのレールの踏面が光っているのは、観光用にトロッコ列車が走り、鉄道が生きているおかげである。
 並河駅のすぐ線路際に、新幹線0系の先頭部分とDD
51がまるまる屋外保存されているのに出くわし、びっくりしたりするうちに園部着。きょろきょろしたりしみじみしたり驚いたりで、忙しくあっという間の1時間なのであった。
 


 (C)Takashi Kishi 2003

   


【写真9】山峡にたたずむ旧保津峡駅




【写真10】