青春18・城崎の旅(第3回)(03/01/12)


第三章 《園部〜城崎》

 山間に抱かれ、桂川の上流に沿って拓かれた園部の街は清清しい朝の光を浴びていた【写真11】。 昨日来の雨の名残でホームはしっとりとぬれてはいたが、ぴりっとした空気の冷たさを引きたててくれているようでそれもまた良い。
 山陰本線を昼間にたどることはほとんどなく、「園部」の名も夜行列車の通過駅としては知ってはいるが、どんな土地なのかはまったく知らない。30分余の待ち時間を利用して駅前を探索するが、園部とはこんな街で…、と私がくどくど書くよりも、地元の小学生による案内マップ【写真12】が改札前に貼られていたので紹介させていただき、細かい説明は終わりとする。
 駅自体はまだ新しい小奇麗な橋上駅で、構内は広く側線も多い。ここ園部を境に京都方、福知山方それぞれへの区間運転の要衝として、その重要性が伺える。

 福知山行きの発車10分前に、つい魔が差してトイレに入る。この先城崎までほとんど乗りっぱなしなので今の内に、と思ったのだが、私は普段から腹具合が良いほうではないので案の定手間取り、残り少なくなって行くティッシュペーパーと時間に血の気が引いた。後で城崎の湯に入ってきれいに洗うことにして、発車3分前にようようのことでトイレを出る。
 やれ一安心、とホームに降りて、がら空きの車内に陣取るが「この車両は京都行きです。福知山行き後ろ2両は間もなく発車します・・・」と車内放送があり、また大慌てで乗り移る。京都から到着した編成をここで分割し、2両だけがそのまま福知山まで行って、残りの車両は京都へ折り返す、という運用なのだった。
 旅にハプニングは付き物とはいえ、一難去ってまた一難、城崎にはるか届かずに計画が崩壊するところだったが、引きつった顔で駆け込む私を待って福知山行きのドアは閉まった。




 【写真11】冬晴れの園部


 【写真12】駅周辺地図
 駅はどこやねん?どっちが北やねん??




  ■第4ランナー 園部    (8時47分発)〜 福知山(9時52分着)  普通 229M(113系)
  ■第5ランナー 福知山 (9時56分発)〜 城崎 (11時23分着)  普通 427M(113系)




 【写真13】第4ランナー
    普通 福知山行き

          (福知山で)




  【写真14】 同 車内





  【写真15】 第5ランナー

    普通 城崎行き
          (福知山)


  (C)Takashi Kishi 2003  

  

 乗り移った福知山行き【写真13】は、先ほどの京都行き編成とは打って変わって2両とも満席で、最後尾の乗務員室前に立つ。ここがすでに、京都ではなく福知山の勢力圏であることを痛感する。駅弁代わりにと駅前のコンビニで弁当を買っておいたのだが、これでは食べることができない。この弁当は結局そのまま道中で食べることなく、深夜に帰宅後の夜食になった。
 車内には小春日和の陽光が射し込んで、思わず眠気を誘われる陽気だが【写真14】、窓外には朝もやが今だにたなびいていて、外気の冷たさを知る。桂川水系から由良川水系への分水嶺にさしかかる日吉のあたりでは、線路際に残雪を見る。ようやく来たぞ、という気になる。

 けだるい1時間が過ぎて福知山着。福知山線経由の快速なら大阪から2時間余りで来られるが、私は京都周りで約3時間半をかけて新大阪からここまでやってきた。構内は駅舎高架化の工事が進んでいて活気があるが、だんだんと汽車旅の面影が消えるような気もする。
 4分の乗り継ぎで城崎行きが発車。すでに車内は満席でまた立たされる。車両は中間車を先頭車に改造して補強の鉄板を貼りつけたような113系3800番台で【写真15】、どことなく大昔の荷物電車を彷彿させる。
 次の和田山も姫路からの播但線との接続駅としてなじみ深いが、由緒ありげなレンガ作りの検収庫【写真16】を今回初めて見つけた。しかも、窓の一部はアルミサッシに交換されるなど今でも現役のようで、これはかなりアブナイ物件だと言えよう。
 学生時代から卒業しての数年にかけては、サークルの夏合宿でハチ高原や神鍋スキー場に車で良く通った。国道と山陰本線とが並走しているので、最寄駅である養父・八鹿あたりの沿線風景もなつかしい。
 それにしても、真昼間のローカル線だというのによく乗っている。途中、主要駅の豊岡でかなり降りるのではと思ったが、逆にますます混んだ【写真17】。温泉人気のせいなのか年始の賑わいなのか結局よくわからないまま、自宅からおよそ6時間半で終着・城崎に着いた。

 

【写真16】 レンガ作りの検修庫
   【写真17】 盛況の車内
         (和田山)                    (豊岡)