青春18残り福・九頭竜の旅(第1回)(03/02/01) テキストのみの一括ダウンロードはこちら
第一章 (和泉砂川 〜 長 浜) 2003年の正月に城崎を訪ねた(別項「青春18・城崎の旅」ご参照)。 タイトルの青春18とはもちろん「青春18きっぷ」のことだが、実は私は、これを使って旅をしたのが今回初めてなのだった。つまりそれだけ、これまではある程度「あそこへ行ってこれをして、そのためにはこれに乗って」、と段取りを立てての旅をしてきたとも言えるし、時間がない中でできるだけ遠方へ行きたい、という思いも働いていた。 それが今回「青春18」を使うことになったのは、もとはといえば小6の息子のせいである。まだ幼かったころから、この息子をダシにして私は小旅行をしてきた。 大阪から新幹線で岡山へ出、マリンライナーで瀬戸大橋を渡って帰路は高松から飛行機で関空へ、というまったくアホらしい大阪湾・播磨灘一周日帰りをしたこともある。 もちろん息子も喜ぶだろうと思ってのことではあったが、肝心の瀬戸大橋を渡っている間息子はお昼寝の真っ最中だったし、高松空港の展望デッキでは、嬉々としてシップ(航空機)を眺める私を尻目に「もうお母さんのところへ帰ろうよ」とベソをかいていた。 |
《行 程 図》 | ||||
和泉砂川 〜 長 浜 |
九頭竜湖 〜 越前大野 |
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長 浜 〜 九頭竜湖 |
越前大野 〜 終 章 |
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(各章へリンクしています) | |||||
そんないささか心もとない「戦友」の息子が、今回にしても正月休みに暇そうにしているから「一緒に雪を見に行くか」と城崎に誘ったのだが、2人で行くなら安く上がるから、とせっかく青春18切符を買ったのに、思春期の不安定さから来るのかここ半年ほどは胃腸が弱く、結局私一人で行くことになった。 日帰り切符5日分でワンセットのうち、2枚は家内と末っ子が大阪ベイサイドの水族館「海遊館」に行って使った。1枚は私が城崎で使った。もう1枚は、また家内が神戸・三宮までのお出かけに使うという。最後に残った1枚は、もちろん私の番である。使用期日の1月20日が迫っており、既に元は取れているとはいえ残すのはもったいない。こうして天下晴れての日帰り旅行再演が決まった。 日帰りで行ける範囲で、しかも行ってみたいところとなると案外と少ないものだ。前回の城崎では、雪を期待したがまったくの晴天でカラ振りだったので、今度こそは雪を見たい。日本海側の冬とはいえ沿岸部は雪が少ないようなので、山間部に狙いをつける。 山といえば信州と行きたいところだが、日帰りはきついなと思いつつ時刻表の路線図をめくっていると、手ごろな距離でまだ行ったことのない路線として「越美北線」の名が目に止まった。岐阜県側との連絡のかなわなかった盲腸線であり、名前の響きにもどこか引かれるものがあった。 |
■第1ランナー 和泉砂川(8時15分発) 〜 大 阪(9時17分着) 関空・紀州路快速 4112M(223系-0) ■第2ランナー 大 阪 (9時30分発) 〜 長 浜(10時59分着) 新快速 3214M(223系-1000) |
前回の城崎では朝5時前に出かける強行軍だったが、今回は8時過ぎに家を出る。別に余裕があるわけではない。休日の早起きが苦になってきたせいもあるが、越美北線の融通のきかないダイヤのおかげで、早く出ても仕方がないのだ。 もっとも、掲載した地図で比べると、城崎よりも九頭竜湖の方が断然遠い。乗車する営業キロで比べても恐らくそうだろう。にもかかわらず、出発時間が3時間も遅いのに、九頭竜湖まで行って、同じような時間に帰ってこられるのだ。 これを可能にするのは、現地滞在時間の違いもあるが、やはり琵琶湖東岸の長浜まで直通する新快速の威力だろう。特急並みのスピードで東海道を快走する、JR西日本ご自慢の列車である。 近い将来、長浜からさらに日本海側の敦賀まで運転区間を延長する計画が進行している。途中には交直セクションがあって、これを改修するのか交直両用車両を投入するのか、いずれにしても何かと手間暇がかかるのだが、地元自治体の支援もあってGOサインが出ているようだ。 |
【写真1】近江鉄道 【写真2】米原にて |
その新快速は9時30分に大阪を発車。途中彦根では西武カラーの近江鉄道【写真1】を見、米原ではホームの堂々たる洗面台【写真2】を見て感動する。 同じボックスに乗り合わせたのは40〜50代のおばさんグループで、皆リュックを携え、トレッキングのようないでたちでキメている。通路を挟んでとなりのボックスとも賑やかに声を掛け合っている。 さすがにやかましいので、どこで降りてくれるのかなと期待して会話に耳を挟むと、米原で名古屋方面行きに乗りかえ、さらに中央線まで乗り入れるようだ。 最終の下車駅までは話に出てこなかったが、とにかくこれでは当然日帰りは無理で、青春18の有効期間をめいっぱい使っての行動なのに違いない。こちらも同類の身とはいえ、信州まで鈍行で出かけようとは、私でもしんどくてよほどの目的がなくてはあまり気が乗らない。 そういえば、70を過ぎた私の母親も、最近では「青春18きっぷって便利やわ」と事も無げに言い、私よりも活用が進んでいる。コストを徹底的に浮かせようという、おばさんならではのバイタリティなのであろう。 |
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熟年パワーに圧倒されつつ長浜着。長浜は、日本史的には豊臣秀吉ゆかりの土地として誰しも一度は習ったはずで、覚えているかどうかはともかくそういう重要な土地柄なのだが、鉄道史においても関西はおろか日本の鉄道にとって重要な意味をもっている。 明治16年5月、「東海道本線」の長浜駅が開業した。当時関ヶ原から長浜までは現在の国道365号線がそのまま旧東海道線として使われ、ここ長浜が東からの終点だった。ここから先、大津までは汽船による連絡、そして大津から京都間は再び鉄路となって、初めて日本人だけの手によって掘られた鉄道トンネルとして有名な逢坂山トンネルによって結ばれていた。 長浜が湖水連絡のターミナルとして選ばれたのは、秀吉以来の経済の中心地として発展したことと無関係ではないだろう。ちなみに、米原経由の新線開通による湖水連絡廃止は明治22年7月とのことである。 |
■第3ランナー 長浜(11時04分発) 〜 越前花堂(12時53分着) 普通 141M(418系) |
長浜からは寝台電車583系を改造した418系が登場【写真4】。途端に東海道から北陸へと、あたりの空気が変わるように感じるから不思議である。 私は仕事で北陸へもたまに出張するのでこの車両には何度か乗ったことがあるが、これほど使い勝手の悪い車両をローカル輸送に使い続けている例も稀有だろうと思われる。ドアは車端部のみで、しかも幅の狭い折戸式のままなので、多客時には乗降に非常に時間がかかる。列車密度の高い幹線では使い物にならないだろう。 また、改造後もなぜか中段寝台は撤去されておらず死重となっているし【写真5】(ヘタをすると上段までそのまま入っているかも)、その他洗面台のスペースはそのままであったり、ドア周りに奇妙な「1.5人幅」のロング(?)シートがあったりと、見ていて興味はつきないが、総じて車内は雑然としている【写真6】。 ただでさえ窓が狭く寝台間の仕切り板があるというのに、さらに車内吊り広告を設置したので車内はなおのこと薄暗い。窓枠のHゴムはくたびれてひび割れ、ブレーキで飛散した鉄粉がこびりついたのか窓ガラスともども茶色に変色している。写真に撮ろうとしたが、そのあまりにキタナイ質感が表現できないのであきらめたほどである。 改造前のタネ車から起算すれば車歴は優に30年を超えている。ここまで使い倒すからには、JR西日本金沢支社は相当の覚悟があるか、金が無いかのどちらかであろう。 悪口ばかり書いたがいいところもある。なんといっても4人がけボックスシートは弾力がありピッチが広いし、特急用車両だから遮音性がよく、加減速もスムーズなので、目をつぶっていれば乗り心地は特急そのものだ。 |
【写真4】 |
【写真5】 |
【写真6】 拡大あり |