第三章 (九頭竜湖 〜 越前大野) |
ローカルの盲腸線で最果てまでやってきたと思ったが、駅前には国道が整備され、「道の駅」までできている。終点までやってきたのにこんなところに国道があるのかと一瞬思うが、実はそれは間違いで、視点を180度変えて見れば、国道こそが主要な生活インフラなのであり、その傍らに国境越えの夢半ばでついえた鉄道が寄り添っているのに過ぎない。 鉄路はここで途切れているが、道路は越前から美濃へとつながっている。本来ならその道をたどって美濃白鳥へ抜けるJRバスが待っているはずだが、今は冬季なので運休である。がら空きのマイクロバスが客を待っていたが、これはどこかの保養施設への送迎バスらしい。 |
折り返しの福井行730Dは14時37分に発車する。滞留時間がわずか6分しかないのでかなり慌しいが、これを逃すと次は18時44分発まで待たされて日帰りが不可能になるので、青春18きっぷの最後の1枚を手にした客としてはこれに乗らないわけにはいかない。 駅前をひと渡り見まわし、トイレをすませて車内に戻ると、女性職員が運転士と話をしている【写真19】。 事情通のお話によればこの方は谷さんとおっしゃる、第6代の観光駅長さんなのだそうだ。あからさまにカメラを向けるのも最初はためらわれたが、被写体となるのもお役目のうちだろうと割り切って撮らせていただく。先方も慣れたもので気取る様子もなく、こんどは列車に乗る家族を見送りに来た顔見知りらしき男性とおしゃべりしている。 |
【写真19】 |
その谷さんの笑顔に見送られて発車。本日の観光駅長としてのお仕事はこれで終わりだろうが、「道の駅」のスタッフとしてのお仕事も兼ねておられるのかもしれない。 車内は地元客とマニア諸兄が半々で7〜8人といったところ。往路で一緒だったマニア氏のほとんども私と同様に折り返したが、一人だけこの列車を見送った猛者がいたのには少々驚いた。今宵はどこでどうするのだろうか。 さっき父親の見送りを受けた母子も乗っていて、閑散とした車内に活気を与えてくれているが、どこまで行くにせよパパが車で送ってあげたほうが早いでしょうに、なんでわざわざ鉄道に乗るの、と言いたくなるようなローカル線風景ではある。 |
15時05分、今日2回目の越前大野で下車する。週末の夜を福井市内で過ごすのだろうか、家族連れや若者が私と入れ違いに乗りこんで発車していく【写真20】。 急カーブの向こうに列車が消えて、私は待合室にひとりになった。室内は九頭竜湖までの延伸を伝える当時の新聞記事や工事の詳細な施工図面、また完工検査の合格と営業運転開始の許可を伝える国鉄部内での電文などが掲示されてちょっとした資料館のようになっており、売店の店先には結構な種類のみやげ物がならぶ。鉄道部も置かれるほどの要所であり、駅前の構え【写真21】もなかなかのものだが、さて展示を見、みやげ物を買っていく人がどれくらいあるのか心配でもある。 次の上り列車は越前大野始発の16時54分発732Dで、日が暮れないうちに城下町をひとまわり探索するにはちょうどよい時間帯だ。 見物の軸になるのは越前大野城である。観光案内板を見てだいたいの方角の見当をつけ、駅前からまっすぐ伸びる通りを歩き出す。 駅前のメインストリートかと思われた道はすぐに微妙なカーブを描き始め、唐突に横丁に突き当たっては変針を余儀なくされたりするが、それでも軒を連ねる商店の中には歴史を感じさせるものが多く、さすがはとうならされることもしばしばであった。 その逐一はここに書ききれないので、大野市内のあちこちで拾った風景とともに別掲のスナップ集として参照頂くことにする。 |
【写真20】 クリックすると拡大。 【写真21】 越前大野駅 |
横丁から広い車道に出ると目前に俗称「亀山」と呼ばれる丘が望まれ、その頂に越前大野城が鎮座する【写真22】。 【写真22】 越前大野城 亀山のふもとに駐車場があり、ここから隣接する神社の境内を抜けて、「百間坂」という登山道に取り付くが、まだ新しそうな立て札が私を待ち構えていて、片道20分かかるという。登り降りの往復だけで40分を要するとなれば、他にまとまったことができなくなってしまう。城はどこへ行っても城であり、それよりは町並み見物の方に関心があるので、山城の空気だけをみやげにして引き返す。 |
【写真23】 | |
城下の路地をぶらぶらするのはなかなかいいものだ。 「大野藩主 土井利忠公が安政三年(1856年)に開設 した洋学館の跡」【写真23】などに接すると、山中の地方 都市ながら進取の気風と風格に富む土地柄として、 越前大野に尊敬の念を覚える。 武家屋敷などはお決まりの観光名所という感もあるが、 入って見ると建築様式も小さな前庭も、質素ながら無骨 ではなく、抑えの効いた上品さが感じられる。質実剛健、 華美を感じさせないところが山国の大野藩にふさわしい ように思えてくる。 一方では何気ない裏通りにも「観光駐車場」と札の 出た空き地が用意されていて、観光資源にかけるひ たむきさが感じられる。初めて訪れた土地なので、 余計に応援したくなるような気分になる。 |
さて観光も良いが、ここで食事にしておかねばならない。昼食が駅弁だったので小腹が空いたということもあるが、大野を発つと後は大阪に着くまで、まとまった食事の暇はない。まだ16時前だが、食べられる時に食べておかねばならない。 駅の方向へ戻りながら手ごろな店を物色するが、どうも触手が動かない。往々にして地方へ旅に出ると、県庁所在地クラスであってもこれという食事にありつけないことがあって、そんな時にはやはり地元・大阪は食い倒れの街なのだということを再認識する。 |
二代目店主の言葉を借りると、「そばの中心部(1番粉と2番粉のブレンド)だけを使ったそばなのでデンプン質が多く、それをちょっと太めにして打つ事により、ちゃんと噛まなければ飲み込めないほどの独特のもちもち感とそば本来の持つ甘味が味わえる」。 蕎麦一本の長さはせいぜい20cmほどで、口にくわえると普段食べている麺類のようにダラリと垂れ下がったりはせず、しなりがある。噛み締めるともっちりした弾力があるが、それは決して茹で加減が浅くて粉っぽいとか、団子のようにただ粘り気があるということではなく、上質の粉を絶妙の水加減で練り上げたことによる独特の歯ごたえである。ただし「つるつる」とのどを通る、いう麺類の概念は払拭する必要がある。一本ずつ噛み締めて味わうような感覚である。 素材を選び、手間隙かけて仕込まれた蕎麦つゆを口に含むと、一切の雑味がない。ダシもしょうゆもみりんも砂糖も、しゃしゃり出てくるものはなにもない。光の三原色がひとつになって真っ白な光に昇華したかのような、透明な後味だ。ざるそばは甘辛いつゆにとっぷり浸けて食べるもの、という常識はこっぱみじんに打ち砕かれて一瞬呆然とするが、しかしやがて一口ずつ噛み締めるうちに、このつゆでなくては、この蕎麦の持つ本来の甘味が生きてこないのだ、ということに気がつく。すべては蕎麦の味を引き立てるため、計算され尽くしたつゆの味なのだと悟り、参りましたとつぶやくのである。 私は麺類好きなので話が長くなってしまったが、とにかく、このこだわりの塊のような本物の蕎麦がわずか750円というのは信じられない。その心意気の詳細は、同店のホームページでぜひ見て頂きたい。(http://www.fukusoba.co.jp/) 当分、スーパーマーケットで中途半端な生蕎麦などは買うことができなくなるだろう。 |