青春18残り福・九頭竜の旅(第4回)(03/02/27)


第四章 (越前大野 〜 終章)

腕木式信号機
 【写真28】 
 国道沿いに歩いて越前大野駅に戻る。福井からの729Dが15時48分に到着していて、これが折り返し16時54分の732D福井行きとなるが、その発車まであと10分もない。トイレに行ったりもう一度駅前を見渡したりして名残を惜しんでから乗車。

 見送ってくれるのは懐かしい腕木式信号機【写真28】だが、もちろんこれは現役ではない。

            単線特殊自動閉塞式完成記念
         JR金沢支社最後の腕木式信号機一式
             1993.10.1 越前大野鉄道部

との説明板がある。腕木式信号機が無くなって10年目を迎えたということになるが、それでもいまだにタブレットが残っているというのも不思議な気がする。

 既に日は落ちて、冬雲のフィルターを通して青白いモノトーンの光が大野盆地を包んでいる。車窓の景色も墨絵のように、残光の中へ徐々に沈んで行こうとしているが、その中でなお際立って見えているのは亀山、そしてその頂に立つ越前大野城である。
 発車すると線路は90度近い左カーブを描く。ちょうどコンパスの軸に相当する位置に城があるので、円弧を描きながら走る列車から見るとその位置はほとんど変わることなく、ただターンテーブルのように角度を変えて行くように見える。


 大野盆地の西を扼す山地を越えて、夕闇の中を福井へ向って淡々と走るうちに、私の体調には異変が生じてきた。催してきた、のである。発車前には念入りにトイレに行ったのだが、夕方飲んだビールが降りてくるにはちょっと早すぎたようで、今ごろそのツケが回ってきたのだ。しかも、急激に。
 福井到着までには優に30分以上ある。なんとか終点までと思って2駅は我慢したが限界は明らかで、最悪の事態を迎える前に決断せねばならない。この列車を捨てると次は2時間以上来ないので日帰りは断念となるし、コンビニも喫茶店も何もないような駅で降りようものなら、真っ暗な寒空の下で田舎町を2時間以上さまよう羽目になってしまう。
 停車中に運転士にちょっと待っていてもらいホームで用を足そうか、等々いろいろな考えが脳裡をめぐったが、結局大事の前の小事にはかまっておられなくなって、ここがどの駅かも確かめずに私はエイヤと降りた。
 心理学において「マズローの5段階欲求説」という、そのスジでは有名な古典的学説があって、そのうちもっとも基本的かつ動物的欲求は「生存欲求」である。生命の危険が迫ったときには理性ある人間でもなりふりかまっておられなくなるという訳だが、生理現象を満たしたいのに満たせないという状況も、恐らくこの「生存欲求の危機」に属しているのに違いない。
 私以外にひとりふたり降りたような気がしたが、それもどこかへ散ってしまい私はホームに一人になった。一直線に伸びる線路をテールランプがあっけなく逃げて行くのを呆然と見送る。しんと静まった盆地にコトトン、コトトンとジョイントの音がかすかに響くが、それも眠りに落ちるかのように次第に小さくなり、やがて消え去ってしまった【写真29】

 私は線路を渡って、畑に残った雪の上へ思いきり用を足したが、盛大な尿意の割には量が少なかった。このわずか10秒少々の行為のために、いったいどれだけ大きなものを犠牲にしたのかまだよくわからなかったが、とにかく善後策を考えなければならない。
 改めて駅名をみる。「市波」。福井まであとわずか25分のところであった。住宅地の裏手に盛り土をしただけで、改札口もない無人駅だが【写真30】
幸い待合室があったので中に入る。座布団の敷かれた長いベンチで横になってみた。ここなら吹きさらしで2時間以上を過ごすことは免れそうだ。
 それなりに厚着もしているし、いっそこのまま仮眠でもと思ったが、ふとひらめいて地図帳を開くと、うまい具合に大野と福井を結ぶ国道158号線が駅と接近して並走しているようだ。果たして、駅前を50m足らず歩くとすぐに国道に出た。そこで私は恐ろしいことを考えた。「福井まで歩こう」。
 地図をざっとみたところ10キロ少々だから、さっさと歩けば2時間で行くだろう。何もしないままここで次の列車を待つよりはマシである、そう考えて私は人通りのない国道を歩き始めた。用を足した時点で理性を取り戻したと思っていたが、まだどこかでキレていたのである。

市波駅夜景1
 【写真29】市波駅(1)
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市波駅夜景2
 【写真30】市波駅(2)
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 10分ほど歩くと家並みも途切れ、国道は山間の登りにかかって寂しくなった。行くしかないだろうと意固地になる私と、本当にいいのかとブレーキをかける私が同居しているので、飲食店のような灯りを見つけるとこれ幸い、と脇道に入る。しかし看板を見ると「歌声喫茶」とあって、どうせ地元の歌好きがたむろしているのだろうから、こういう場所で肩身の狭い思いをしながら過ごすのはおもしろくない。
 ここから先は一乗谷へ向けての山越えである。雪がどっさり残っていて歩みが思うように進まないかも知れない。苦労して歩いたあげく、下手をして後続の列車にも遅れを取ってしまっては元も子もない。やはり歩くなど無理だったのだ。私はあえなく徒歩を断念して、すごすごと元来た道を引き返した。今度こそ、正気に返ったのである。



 知らない夜道を歩くのは不安なものだが、来たばかりの道を戻るのも張り合いがない。退屈しのぎに歩道に積もった雪を蹴っ飛ばしてみるが、いつまでも雪遊びができるわけでもない。
 やるせない気持ちで歩いていると、タクシーが私を追い越して、100mほど向こうで止まった。さては夜道を行く私を上客と見て待ってくれたのかと、すがる思いで追いついてみれば、これは予約客の迎車であった。タクシーで福井へ向う可能性も途絶えた。

 突然、夜6時を知らせるミュージックサイレンがあたりに響いた。「夕焼け小焼け」のメロディは「お手手つないで皆帰ろ、カラスと一緒に帰りましょ」と歌うが、大阪へ帰るに帰れず、見知らぬ街を思いがけず一人でさまようことになった私にはせつな過ぎる。
 残酷なまでにでき過ぎた舞台装置にあきれていたところで、携帯電話が鳴った。

    「あのなお父さん、アニメのビデオがうまいこと録画できへんねん。」

 中学1年の娘の脳天気な声だった。

    「お父さんな、今旅行に来てるねん。帰ったらみてやるから。」

 別に私たち親娘は別居しているわけではないが、親父の行動なんかに関心のない娘は、私がこんな山間の町をさまよっていることなど知る由もない。そんな状況でも即時に家族とつながることのできる世の中に戸惑いを覚えるが、家族が自宅で普段通りの日常を過ごすさなかに自分は人知れず福井の夜道を歩いている、そのギャップはおもしろい。私は少し元気が出た。


「市波」バス停
 【写真31】

(C)Takashi Kishi 2003


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 そうこうしてようやく市波駅に近づいたころ、1台のバスが私とすれ違った。バス・…?! そう、確かに路線バスである!
 考えて見れば、大野と福井という県下の主要都市を結ぶ国道なのだから、路線バスが通じていても不思議ではない。駅前まで戻ると、やはりバス停があった【写真31】。なぜ歩き出した時に気がつかなかったのか。
 時刻を見ると、きっかり毎時0分と30分に福井駅前行きの便がある。しかも夜8時台まで走っていて、ローカル線など及びもつかない輸送密度である。「国道こそが主要な生活インフラなのであり、その傍らに国境越えの夢半ばでついえた鉄道が寄り添っているのに過ぎない」と、九頭竜湖の駅前でそう悟ったばかりではなかったか!

 とにかくこれで福井への到着は大幅に短縮された。私が必死で歩いていたかも知れない道のりを、バスは30分余で快走して福井駅前に到着した。
 私は青春18きっぷの使用をここで断念し、切符を買いなおして特急「サンダーバード」でその日のうちに大阪へ戻ったが、福井から大阪までの所要時間は、福井から九頭竜湖までの乗車時間と30分しか変わらなかった。
 越美北線南福井駅〜越前花堂駅間は、結局未乗区間のままで終わったのだった。

(完)