早暁の名古屋をスタート

 ラッパ仲間のM君とは、あいかわらず各地での演奏機会のついでに鉄道を乗り歩いている。今回は、来日したチェコフィルハーモニー交響楽団のローブラスセクションとの交流演奏会(※)で名古屋を訪れた帰路を利用して、美濃・北勢地方の鉄道をできるだけたくさん乗ることにした。

 2人とも、今や自身の健康問題や老親の介護などの現実が降りかかる年代になった。とにかく行けるうちに行きたい所へ行っておかなければという、切実かつ好都合な強迫観念が我々の旅を後押しする。

 まだ夜も明けきらない6時前、繁華街・栄に近いホテルを出て、地下鉄東山線伏見駅から名古屋駅へ向かう。効率よいスケジュールのためなら睡眠も食事も二の次、というのが我々の旅の常で、今回も、宿泊客なら無償でふるまわれるホテルの朝食をフイにしてこの時間に出発する。
 今回の一番の目当ては、三重県の北部を走る「三岐鉄道」だ。同社は複雑な生い立ちの末、近鉄桑名を起点とする北勢線(ナローゲージ。駅名は「西桑名」)と、近鉄冨田を起点とする三岐線(狭軌)の2路線を走らせている。それぞれの終点である阿下喜(あげき)駅と西藤原駅とは約5キロしか離れておらず、まとめて何とかしたい、と前々から狙っていた路線だ。
 さらに、隣接する美濃エリアには「養老鉄道」がある。JR大垣駅を結節点として運転系統は南北に分かれており、北端は揖斐まで、そして南端の桑名では上述の三岐鉄道北勢線と接している。名古屋から関西へ戻る道すがら、“まとめて何とか”するにはおあつらえ向きの位置関係にある。

 なお、メインディッシュは以上だが、帰路のついでに、近鉄四日市を起点とする「四日市あすなろう鉄道」にも立ち寄ることにしている。もと近鉄の内部・八王子線が、2015年4月から第3セクター化されたものだ。近鉄四日市を出発し、途中の日永で分岐して西日野に至る区間は2007年に乗っている(乗車記はこちら)ので、今回は日永から先の内部までを訪れてみたい。

            ※チェコフィル・ローブラス、CRブラスによる「友情コンサート」(2015年11月1日(日)、ドルチェ楽器名古屋店アートホール)。
              大阪
ブラスアンサンブルは、Chech Republicの略である「CRブラス」として出演した。





養老鉄道

 まず東から西へ・北から南へ、の順路に沿って、養老線の北端・揖斐駅をめざす。ただ乗りつぶすだけなら、先に大垣に入り、揖斐までを往復してから桑名に向かえばいいが、同じ区間の複乗などという芸のないことはしたくない。北端の揖斐から南端の桑名まで、一直線に乗らなければ、文字通りスジが通らない。
 最優先すべきは三岐鉄道の乗り通し、すなわち阿下喜駅と西藤原駅の連絡(これがまた超難関だったのだが詳しくは後述)なので、そこから逆算して揖斐駅で乗るべき列車を決めたが、鉄道で大垣を経由しないとなれば、バスで直接揖斐駅まで行くしかない。自治体やバス会社のWEBサイトをあれこれたどった結果、「大野町」というところで乗り継げば、岐阜から揖斐まで路線がつながっていることが分かった。
 と、こう書いてしまえば簡単なようだが、バス路線図の停留所名と実際の地図を繰り返し照合しながら、大野町ってどこだ、と土地勘のないエリアの乗車経路を調べるのは骨が折れる作業だった。それが楽しいのだが。



 名鉄名古屋駅6時19分発、平日のみ運転の特急で岐阜に出る。今日は飛び石連休の隙間だが、我々は「行けるうちに行きたい所へ行っておかねば」という強迫観念に支配されて行動しているから、そこで有休を取るくらいのことはいとわない。
 善良な通勤通学客の列に、楽器ケースとリュックサックをかついで並び、7時01分発の岐阜バスC39系統「大野バスセンター」行きに乗車。岐阜の市街地を抜けて長良川を渡って西へ向かい、のどかな濃尾平野の北辺を進む。北方町から本巣市へと地方都市の乗降を繰り返しながら、7時54分に終着。定刻に1分と違わないのでびっくりする。バスセンターは、大野町役場や総合町民センターなど行政の主な機能が集約された一角に新しく整備されているが、幹線道路から少し入ったところなので、周囲はすべて田畑である。

 ここから歩いて10分たらず、大野町黒野というところに「黒野レールパーク」がある。今回は時間がなくどうしても立ち寄れなかったが、ここがかつて名鉄揖斐線・谷汲線が分岐していた「黒野駅」の跡地だ。
 後で調べて知ったことだが、揖斐線(忠節<=岐阜市内>〜本揖斐)のうち、ここ黒野から終点の本揖斐までが2001年に部分廃止された際、名阪近鉄バスによって揖斐駅までの代替バス路線が開設された(2006年に揖斐川町コミュニティバスへ移管)。それがこれから乗ろうとするバスだ。さらには、残る忠節〜黒野間も2005年に完全廃止となった際、やはり代替バスが開設された。これは、さっき岐阜から乗ってきたバスのことだ。つまり、かつての名鉄揖斐線は、黒野を境として前後2段階で、そっくりバスに置き換わったのだ。「大野町というところ」を経由して路線がつながっている理由が、これでようやくわかった。
 虎は死して皮を残し、鉄道は消えてバスを残す。もうひと昔早く訪れて、市内電車規格の600V駆動車で揖斐線をのんびり走ってみたかった気もする。バスの乗り継ぎを必死に調べる楽しみは味わえなかったかも知れないが。

 パラつき始めた雨を突いて、揖斐駅行きがバス溜まりから現れた。こじんまりした待合室から乗り場まで、30メートルほどを小走りに駆けこむ。
 8時02分に発車してすぐ揖斐川町に入る。揖斐川流域に点在する集落を縫い、かつての本揖斐駅跡をかすめ、お決まりの病院に立ち寄ったりしながら20分余で揖斐駅に到着した。今ごろ会社ではようやく始業を迎えるころだが、こちらはすでに朝から4区間も消化した。



 揖斐駅は、1919年の開業なので間もなく100年を迎える。さすがに開業当時のままではないだろうが、鉄道模型のジオラマのような駅舎は風情がある。パラパラからシトシトに変わった雨を気にしつつ、ポイントを移動して写真を撮る。
「8時54分発大垣行の改札を行います」、とアナウンスがあって、ちらほらと待合室に集まった乗客が腰をあげる。朝夕のラッシュ時は20分間隔、それ以外は40〜50分間隔で、ローカル線として極端に少ないわけではないが、列車別に改札を行っている。
 大垣までの25分間、石灰岩の採石場とプラントを遠く右手に見ながら南下。途中駅の北神戸・広神戸の「神戸」を、“こうべ”でも“かんべ”でもなく「ごうど」と読むことは、30年近く前に出張で来て一度乗ったことがあるので知っている。もちろんその頃は近鉄養老線だった。
 大垣で9時46分発の桑名行に乗り継ぐと、それまでの茫洋とした田園風景から印象が一変した。大垣発車後、大カーブで南下した線路は名神高速の下をくぐると西へ変針し、線名となっている養老山地に突きあたって再び南下する。以後山裾に沿ってアップダウンあり、切り通しあり、カーブありの線形で、800m級の山が手に届くように迫る。北端の揖斐から南端の桑名まで、ほぼ全線を揖斐川に沿って下ってきた格好で、10時57分桑名着。




名鉄の特急指定席を奮発するがご覧の通り


ゆったりサイズのシートに収まるM君


月曜の朝の名鉄岐阜駅前。皆様ご苦労様です


名阪近鉄バスが運行する揖斐川町コミュニティバス。
後方はここまで乗ってきた岐阜バス
(大野BC)

ローカル駅の典型のような揖斐駅舎


内部もなつかしい構造(揖斐)


1面1線の終着駅(揖斐)


昔の貨物用側線の跡地が広がる(揖斐)


大垣駅。左(1番線)が桑名行、右(2番線)が揖斐行


構内の「ゼロキロポスト」。大垣を起点に、
揖斐・桑名の方面別に距離を測っているのか



JR側の構内も広く、鉄道の要衝・大垣の全盛期を
しのばせる



朝のラッシュも過ぎ、桑名行の車内はこの通り



三岐鉄道

 桑名から、“おあつらえ向き”の三岐鉄道北勢線に効率よく乗りついで・・・のつもり
だったが、現実はそうならなかった。ここではあえて目の前にある北勢線をスルーして、
近鉄にチョイ乗りで近鉄冨田まで南進し、三岐線から先に乗るのである。
 北勢線・三岐線ともにデータイムは毎時1〜2本という頻度で、ただでさえ連絡は容易
ではないのだが、そこに両線を結ぶ「福祉バス」の存在が追い打ちをかける。このバスは
いなべ市の社会福祉協議会による運行で、阿下喜駅と西藤原駅を連絡する路線は、1日
3往復・日祝運休という相当のレアものなのだ。岐阜を出るバスの時間、大阪まで帰って
くる時間、さまざまな希望を満足させる案を探しては何度もため息をついたが、「遠い線
から先に乗る」という逆転の発想に行きついて成案を得た時は感動さえ覚えた。



 黄色い車体にシルバーのアクセントをまとった西武譲渡車の三岐線は11時21分発。
まだ午前中だが、これで朝から7回目の乗り換えだ。計画段階では苦労させられたが、
ここまでくればもう今日一日の勝負はついたような気分になっている。
 いつも地図で三岐線を眺めては、どんな弱小私鉄かと勝手に妄想していたが、実際に乗ってみると「恐れ入りました」と頭を下げたくなった。特に注目するべきは、道床の厚さとしっかりしたレールである。車両こそ中古だが、路盤だけ見ていると大幹線と遜色がない。そもそもの鉄道建設目的がセメント輸送であるだけに、重い貨物列車を走らせるには土台が肝心なのだ。
 やはり貨物輸送主体の影響か、運行速度は70km/hに抑えられているとのことで、しっかりした路盤をゆったり走るから乗り心地はいい。
 員弁川の河岸段丘に沿い、鈴鹿山脈へと勾配を上って東藤原に着く。ここには太平洋セメントの大工場がある。発車すると、がっしりした引込線がいくつも構内に消えていき、残った本線の道床は薄く、レールは細くなる。ようやくローカル線らしさを取り戻した列車は12時06分、ひっそりと西藤原に到着した。



 車のすれ違いがやっとの“目抜き通り”に出てコミュニティバスを待つ。希少な運転本数の路線同士の接続ながら、接続時間はわずか8分間と、会心のスケジュールである。
 通りには行きかう人も車もなく、バスがくれば見落としようもない。しかしここで乗り損ねては面倒だから、バス停を片時も離れられない。原色のない雨上がりの街並みを見やりながら、「もうここに来ることも二度とないやろうな」とM君に聞こえるように独り言をいってみた。彼もうなづいた。
 ほぼ定刻、カーブの向こうに白い車体がちらりと光ったが、こちらへ向ってくるのにその姿はなかなか大きくならない。バスじゃなかったか、と思った我々の前に、「いなべ市」とボディに書かれたワゴン車が停まった。

 ジャンボタクシーとでも言うべき車内は地元の方でにぎわっていた。福祉バスにふさわしく、公民館、病院といった施設を結んでいく。我々は何の心の準備もなくアウェーな世界へと乗りこんでしまい、楽器と荷物を膝に抱えて後席で小さくなっていたが、さらにとどめの一撃をくらうことになった。20分弱で阿下喜駅前に到着して降りようとすると、「料金箱がない!」のだ。えっえっ、と面食らっている我々を残して、何事もなくバスは走り去った。私の地元の「さわやかバス」だって、申し訳程度に100円を払うというのに、完全無料とは。税金も何も払っていないよそ者の我々まで、タダで乗せてもらっていいのだろうか。地元三岐鉄道の収益に貢献したから、乗る資格があるのだろうか。いなべ市、恐るべし。

 次の北勢線の発車は12時39分。ここでも接続はわずかの6分で、これは奇跡といっていいだろう。
2006年に駅舎が移転・新築されて駅前はこぎれいになっている。まだ新しさの残るホームに、ナローゲージの旧型車両が待機している様子は愛らしい。
その乗りごこちとスピードは、いつも地図で北勢線を眺めては勝手に妄想していた、まさにその通りであった。




桑名。養老鉄道から近鉄へは、同じホーム上の改札で
乗り継げる


近鉄富田。三岐鉄道・三岐線はもと西武鉄道の
車両が活躍。気のせいか車体が平べったく感じる


三岐鉄道はなつかしい硬券が現役


西藤原行の車内はこの静けさ


旅客の少ない時間帯は貨物が主役


終点の西藤原駅前の「ウィステリア鉄道」
貴重な車両の保存展示を行っていることで有名



SL、ELを模した西藤原駅舎


静けさに包まれた原色のない街で
コミュニティバスを待つ



やってきたのがこのバス。マイクロバスとミニバンの
中間ぐらいのワゴン車(阿下喜駅前で撮影)



コミュニティバスの車内は顔見知りばかり。
シートの影にも小さなおばさんが乗ってます


「貨物鉄道博物館」を有する三岐鉄道のおひざもと
らしく、街角にはホキが展示されている


2006年に新築された阿下喜駅舎


整備されて10年、まだ新しさが残る


ホームの南側に接する軽便鉄道博物館
昭和6年製の「モニ220型226号」


線内各所で使われていた産業遺産も移設


お昼時の車内。ちらほら乗っていました


カーブを繰り返しながら段丘を下る。
列車は「上り」だけど



近鉄桑名よりも東にある「西桑名」が終端。
以前はもう一駅先に自社の「桑名」があった



こぼれ話「四日市あすなろう鉄道」

 2015年4月から、近鉄と四日市市が出資した第3セクターとして運行している「四日市あすなろう鉄道」。従来の260系をリニューアルした「新260系」デビュー(9月)のPRや、1dayフリー切符のリニューアル(12月)などの営業努力を展開している。
 今回は未乗区間(日永〜内部)の完乗を目的に、大阪への帰路再訪したが、惜しくも新260系には乗り合わせなかった。



あらためて見るがバスより狭い


新260系と行き違い


平和っちゃあ平和です
さあ帰りましょう

集会所みたいな内部駅

検収庫もありました

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kakko