近鉄八王子線・ナローの足跡 第1回 (Feb.3,2007)   近鉄内部線・八王子線 四日市駅
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「近鉄の廃線を歩く」

  「鉄道廃線跡を歩く」シリーズでおなじみのJTBキャンブックスから、2006年11月末に「近鉄の廃線を歩く」が刊行された。仕事帰りの書店で平積みされていたのを何気なく手に取ると、丹波橋駅における近鉄と京阪の相互乗り入れ跡など、私の思い入れのあるポイントも詳述されていたので迷わず衝動買いしてしまった。
 近鉄とくれば、旧友のM君の出番だ。彼のことは小覧の「越前国徘徊録」シリーズにも書いているが、私とは四半世紀に及ぶ付き合いで、廃線・現在線を問わずあちこち乗りまわっている好事家である。近鉄沿線出身なので、近鉄の話題には非常にウルサイ、いや詳しい(詳しいから正確だとは限らないのだが、まあいい)。
 さっそく、同書をネタ本にして、正月休みにどこかに行こうということになった。行き先は任せるとのことなので数日思案した結果、昭和51(1976)年に廃止された、三重県下の八王子線・西日野〜伊勢八王子間を日帰りで訪れてみることにした。八王子線は、四日市から出ている内部線の途中駅・日永から分岐して、わずか1駅の西日野に至る支線で、今では珍しいナローゲージ(軌間762mm)である。昭和49年の水害のために一度は全線が不通となり、最終的には先端部分の約1.5キロがそのまま廃止になってしまったわけだが、歩くには手ごろな距離だし、ほぼ全線が道路として連続して残っているので探索効率も良い。余った時間で、三重の奥座敷・湯の山温泉からロープウエーで御在所岳に登り、日帰り入浴に雪見酒、としゃれ込むことにした。


  ※なお同書については、発行元(JTBパブリッシング)の
   サイトの新刊案内ページなどを参照ください。
   八王子線の経緯について、ここでは逐一記せません
   ので、同書をご一読されることをお勧めします。
  (手抜き!)
   
http://www.rurubu.com/book/detail.asp?ISBN=4533065570
  ↑直リンクはしてませんのでコピペでご覧下さい。



 1月4日(2007年)、正月ボケの体にムチ打って早起きし、7時前に家を出る。JR阪和線・大阪環状線を経由して、鶴橋(大阪府)8時13分発の賢島行き近鉄特急に乗り継ぐ。同時52分の榛原(奈良県)でM君が乗りこみ、無事合流する。
 新年の挨拶もそこそこに、今日の行程について検討を始めたものの、沿線にはさっそく数多くの旧線群が現れる。西名張〜伊賀神戸間の伊賀線跡、大阪線の伊賀神津〜榊原温泉口間に点在する青山峠越え、伊勢川口〜岩田橋間の中勢鉄道跡などが次々と車窓に見え隠れするので、「もうすぐもうすぐ。」「…あれ、もう過ぎちゃったんじゃない?」などと追っかけに忙しく、お互い持参してきた乗り継ぎ資料などに視線を落とす暇もない。
 大阪線・名古屋線・山田線が接続する要衝・伊勢中川(三重県)で乗り継ぎのために下車。降りたと当時に、同じホームの向かい側には賢島発名古屋行きの特急が滑り込んで来る。こいつで四日市まで行くのだが、とにかく近鉄の特急ネットワークはいつもながらよくできている。あわただしくビスタカーの2階席に乗り込み、うっすらと雪を頂いた鈴鹿山脈を左に見ながら北上して、10時7分に四日市着。

 四日市のホームでは、M君の「教え子」のH君が出迎えてくれた。私とは初顔合わせで、今日の探索にお付き合いいただけるという。
 教え子、と書いたのは比喩でもなんでもなく、M君の平日の顔は工業科の高校教諭なのであり、H君は正真正銘、彼の教え子なのだ。もう10年近く前のことらしい。

 M君は授業中も、「急カーブを車輪がスムーズに通過できるのはなぜか、それは車輪の踏面の形状が…云々」、といった「鉄ネタ」を生徒に開陳しているらしい。彼に言わせると、それも立派な工業技術の講義の一環なのだそうで、その薫陶を受けて(?)H君も立派な鉄ちゃんに育った。今や、他の鉄道好きな教え子も含めて「Mセンセイチーム」が結成され、各地を共に旅する戦友となっているらしい。
 今回の八王子線探索が決まると、さっそくMセンセイは複数の教え子に召集をかけた。結果、スケジュールの都合がついたH君が合流してくれた、というわけである。彼も奈良県民だが、早起きして普通列車を乗り継ぎ、四日市まで我々よりも先乗りしていたとのこと。さすがである。


写真の左がM君、右がH君。めでたく四日市で全員集合と相成り、いよいよ八王寺線探索に繰り出した。
(C)Takashi Kishi 2007
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