《2》“長崎ちゃんぽん”への前奏曲
 新大阪か
らの第2走者「のぞみ97号」自由席はやはりんでいた。乗車時の席取りに若干逡巡したのがアダでM君は最初立つ羽目になったが、岡山で私の2列後ろに空席を得、広島でようやく隣りにやってきた
 道中は
暗いトンネルの壁ばかりを見て過ごした。たまに外を走っても山ばかりで目印になるものがないから、手元の地図と照らし合わせながらトンネルの数を数えるより他に、現在地を標定する手段がない。わずかに、徳山のコンビナート群のガスタンクと煙突の群れが、まるで叢生する銀色の卵や林のようで目を見張らせてくれたが、それだけであった。

 地図とにらめっこの地味な作業を繰り返すうち、気がつけば10時10分の博多到着まで、あと30分あまりとなっていた。現在地はまだ山口県下を走っている。これから九州に上陸して、小倉を経て博多まで、本当に30分で着けるのだろうか?まさか出発早々にして計画を誤ったか、と肝を冷やして時刻表を読み返すが、やはり間違いはなかった。見れば、小倉から博多まで、たったの17分しか要していない。九州の土地勘がないとはいえ、やはり新幹線とは何とも速くて、そして退屈な乗り物なのだ。
 思えば、10月に入ってからの実働1週間で、新大阪〜東京を出張で2度往復している。そして3度目の今回は、トンネルばかりの山陽路。新幹線という乗り物にトキメキを感じなくなってしまったのは、果たしていつからなのだろうか。
 小倉到着を告げるアナウンスで我に返ると、すでに海峡の真下を走っていた。新関門トンネル突入という、せめてものトピックまでも見逃してしまい、何ら実感の伴わないまま九州に上陸した。

 定刻10時10分に博多へ到着。次は第3走者の10時20分発「かもめ15号」で長崎を目指すが、わずか10分の乗り継ぎ時間では、退屈な新幹線でゆるんだフンドシを締めなおすヒマもない。
 いらち(※)な性分のM君は、新幹線開業を控えた改築工事で入り組んだ臨時通路を右へ左へと突き進む。その背中を追いかけてようやく在来線ホームに達するとすでに発車の3分前で、20年選手の783系「かもめ」先頭車両の顔だけを撮影して慌しく乗り込む。
 せっかく博多まで来ながら、私の好物の「大福うどん」を賞味する猶予もないが、今日の大きな目的のひとつは、本場の「長崎ちゃんぽん」を食することにあるから、ここのところは我慢する。
 「長崎ちゃんぽん」は、すでに日本の食文化上で確固たる全国区のブランドを築いているけれど、本場で食べた人というのはそう多くはないのではないか。て、九州といえば熊本や博多などの“とんこつラーメン”が有名だが、淡白かつ奥深い味わいの“博多のうどん”も、東京駅の八重洲地下街に店があるほどに、隠れた人気がある。博多のや麺類の話が出たので多少脱線するが、乗り継ぎ効率が最優先される「乗り鉄」の世界は、麺類の存在抜きにが
 麺類の話で実際、今回は「」


   ※いらち=自分が速く歩きたい時、誰かが前をトロトロ歩いていたらイライラする、まあそういった感じのことです。
 
 慌しい九州路のスタートではあったが、在来線で走り出してみれば車内の空気まで一変する。適度な速度で走り、適度な間隔で停車する。そんな在来線特急の有難さがしみてくる。昨日までの業務出張を含めると3日間連続で新幹線に乗っているので、余計にそう思う。
 



感覚で”?そんなことを
日晴らせて009年10月10日(土)6時37分、JR西日本天王寺駅・阪和線ホーム。
週末の早朝から引きも切らない人並みが、まるで都会を駆け巡る血液のようにこの駅へと引き寄せられ
、また吐き出されて行く。
 「行ってらっしゃい!」 開店早々から元気の良いおばちゃんの声に背中を押されて立ち食いうどん屋を出、うねるような人波の一部と化して出口へと泳いで行く。皆それぞれに生活を背負い、何かしら今日1日の目的を持っているのだろうが、中でもこの私の持っている「目的」といったら・・・、 それが果たして「目的」たり得るのかを説明する
のも難しいほど、ことさらに特異なものであったに違いない。
 「乗り継げる限り、ひたすら乗り続けること」 この1点のみを旅の動機として、これから約60時間、26列車にわたって「ただ乗るために乗る」行為を繰り返すのである。
 
 待ちに待った旅立ちの瞬間というものは、心躍る嬉しいもののはずだが、実際は必ずしもそうとばかりは限らない。前夜の興奮による寝不足と早起きの疲労。家族を残して自分だけ旅に興じる後ろめたさ。来月訪れるチケット代金のクレジット引き落としのことにまで考えが及ぶと、旅立ちを楽しむ気分どころではない場合もある。
 ましてや、今回のこの強行軍と、ただ「乗るため」だけに、これから4万円の費用と3連休のすべてを費やそうとしていることを考えると、私はこれまでにない緊張感と重苦しさを抱えていた。

 6時50分、出口の向こうで今回の仕掛け人・M君と落ち合う。無事合流できた安堵感で表情が緩んだのも束の間、7時01分発「スーパーくろしお2号」で、早速新大阪に向かわねばならない。二人そろって「西日本パス」を改札機に通し、いよいよ長い旅が始まった。
 老兵381系電車のくたびれた車内に落ち着くと、ひとたびは押し殺さざるを得なかった安堵感が、ようやく体中に沁みてきた。確かに旅は今始まったばかりだが、こうして無事スタートを切った時点で、実はすでに8割方終わったのも同然なのだ。
 なにしろこの企画は、きっぷの発売条件として「2人揃って」でなくてはならない。ましてや、仮に一人が何かの事情で断念せざるを得なくなったとしても、このように無謀なスケジュールでは、おいそれと代役に声をかけることもできない。互いに、“この相手”でなくては成立しない旅なのである。2人がそれぞれに日々の生活と戦い、仕事と戦い、今年特に流行している新型インフルエンザの魔の手をかいくぐって、ようやく無事に、予定されたこの時・この場所で、「スジがつながった」のだ。

 窮屈なシートに身を預けながら、M君がぽつりと言う。
「出かけるまでは“いらんわー”と思うけど、いざ出かけるとなったら、こういう時は起きれるもんやなあ」。
 黒幕である彼もまた、旅立ちまでの日々を重く感じていたのだった。

「まだまだ先は長いし、あんまり気合を入れんと、ダラダラ行こうや」

 はやる気持ちをはぐらかすように言葉を返しながら、私はこれから体験する、予測もつかない60時間のことを思って興奮を噛み締めた。
大阪環状線の高架から広がる見慣れた下町の朝を、いつもより少しまぶしく感じながら。

(C)Takashi Kishi 2009
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