《1》いざ九州へ
2009年10月10日(土)6時37分、JR西日本天王寺駅・阪和線ホーム。週末の早朝から引きも切らない人並みが、まるで都会を駆け巡る血液のようにこの駅へと引き寄せられ、また吐き出されて行く。
「行ってらっしゃい!」 開店早々から元気の良いおばちゃんの声に背中を押されて立ち食いうどん屋を出、うねるような人波の一部と化して出口へと泳いで行く。皆それぞれに生活を背負い、何かしら今日1日の目的を持っているのだろうが、中でもこの私の持っている「目的」といったら・・・、 それが果たして「目的」たり得るのかを説明するのも難しいほど、ことさらに特異なものであったに違いない。
「乗り継げる限り、ひたすら乗り続けること」 この1点のみを旅の動機として、これから約60時間、26列車にわたって「ただ乗るために乗る」行為を繰り返すのである。
待ちに待った旅立ちの瞬間というものは、心躍る嬉しいもののはずだが、実際は必ずしもそうとばかりは限らない。前夜の興奮による寝不足と早起きの疲労。家族を残して自分だけ旅に興じる後ろめたさ。来月訪れるチケット代金のクレジット引き落としのことにまで考えが及ぶと、旅立ちを楽しむ気分どころではない場合もある。
ましてや、今回のこの強行軍と、ただ「乗るため」だけに、これから4万円の費用と3連休のすべてを費やそうとしていることを考えると、私はこれまでにない緊張感と重苦しさを抱えていた。
6時50分、出口の向こうで今回の仕掛け人・M君と落ち合う。無事合流できた安堵感で表情が緩んだのも束の間、7時01分発「スーパーくろしお2号」で、早速新大阪に向かわねばならない。二人そろって「西日本パス」を改札機に通し、いよいよ長い旅が始まった。
老兵381系電車のくたびれた車内に落ち着くと、ひとたびは押し殺さざるを得なかった安堵感が、ようやく体中に沁みてきた。確かに旅は今始まったばかりだが、こうして無事スタートを切った時点で、実はすでに8割方終わったのも同然なのだ。
なにしろこの企画は、きっぷの発売条件として「2人揃って」でなくてはならない。ましてや、仮に一人が何かの事情で断念せざるを得なくなったとしても、このように無謀なスケジュールでは、おいそれと代役に声をかけることもできない。互いに、“この相手”でなくては成立しない旅なのである。2人がそれぞれに日々の生活と戦い、仕事と戦い、今年特に流行している新型インフルエンザの魔の手をかいくぐって、ようやく無事に、予定されたこの時・この場所で、「スジがつながった」のだ。
窮屈なシートに身を預けながら、M君がぽつりと言う。
「出かけるまでは“いらんわー”と思うけど、いざ出かけるとなったら、こういう時は起きれるもんやなあ」。
黒幕である彼もまた、旅立ちまでの日々を重く感じていたのだった。
「まだまだ先は長いし、あんまり気合を入れんと、ダラダラ行こうや」。
はやる気持ちをはぐらかすように言葉を返しながら、私はこれから体験する、予測もつかない60時間のことを思って興奮を噛み締めた。大阪環状線の高架から広がる見慣れた下町の朝を、いつもより少しまぶしく感じながら。 |