近鉄八王子線・ナローの足跡 第5回 (Jun.26,2007)   近鉄内部線・八王子線 四日市駅
 

西日野駅前を観察

 西日野駅構内の写真をあれこれと写す間、M君とH君の二人は何やら話しこみながら待っていてくれた。
「おまたせ。行きましょか」、とようやく歩き始めたそのわずか30秒後、今度は駅前の車道に出たところで、「あ、ちょっとごめん」とまた止まる。二人には申し訳ないが、ここは旧線が道路と合流していた重要なポイントなのでじっくりと眺めておきたい。二人とも私以上の好事家だから、これくらいのことでは私の奇行を嘲ったり、疎んじたりはしない。
 駅前の横断歩道を小走りに渡って川っぷちの歩道に立ち、現・西日野駅の方向を見てみる
(写真1)。四日市方からやってきた列車は、この車道に斜めに突っ込み、現在の横断歩道の中央部を突っ切ってから、現在の2車線道路のうち川沿いの1車線分の幅にピタリと滑り込んでいたのである。また現在の西日野バス停方向から見ると(写真2)、その道幅などもわかりやすい。
 それにしてもこの合流点、写真で見てもわかる通り、線路はかなりの急カーブを描いていたようだ。カーブというよりは、もはや路面電車の分岐器並みの急角度だ。さすがはナローゲージ、と納得するしかない。

旧線と道路の合流地点。緑の矢印が旧線跡。
航空写真:「国土画像情報(カラー空中写真)『四日市』」国土交通省 ccb-87-4_c4a_11及び12、ccb-75-28_c50_14 (いずれも部分)   



やっと歩きます

 一仕事済ませた気になって探索再開。
 さてここからがいよいよ本格的な廃線跡歩きになるのだが、どうもいつもとは勝手が違う。1.5キロの廃線跡はすべて舗装道路の一部として完全に残っているので、基本的に「探す」という作業とは無縁のはずである。最初から最後まで川沿いを歩くだけで、山中をさまようわけでも住宅地の路地を徘徊するわけでもないから、風景の変化にも非常に乏しい。
 私が4年前、大阪市内に残る貨物線「大阪市場線」の跡を歩いた時には、1.5キロという距離はまったく同じだったが、住宅地あり、緑道あり、フェンスに閉ざされた空き地ありと、短い区間ながら、その表情はさまざまに変わったものだった。

 しかしこう書くといかにもつまらなさそうで、いったい何が面白くてそんなところに来ているのかと言われそうだが、もちろんつまらないわけがない。そこが非常に微妙なところである。
 正月早々男3人で、見知らぬ三重県の地方都市をただ30分ばかり歩くためにやってきているというこの状況は、かなり重症の非日常である。「こんなところをただテクテク歩いて、いったい何やってんだろう」と思えば思うほど、その非日常感は増幅し、「スキモノだなあ、オレたちも」と、愛好家ならではの喜びに浸れる寸法になっている。わざわざこの旅行記を読んでやろうというほどの方ならば、
「バカだねえ」とニッコリ笑ってご理解頂けるに違いない。 


気まぐれな天白川の流れのままに、道路も不規則なカーブを描いている。M君、H君両氏は並んで黙々と歩いている。時折ぼそぼそと聞こえてくる会話の中身は師弟関係のそれであって、私が割って入る類のものではない。
 もう「ちょっと待って」と声をかけもせず、私はカメラを手に、自分の思い描いた画を探す。
彼らとて、もう私のことを待ちはしない。二人の姿は、常に私の視界の先にある。
 
    「君は君 我は我なり されど仲良き」 (武者小路実篤)
同好の士、真の友人とはそういうものであろう。


(C)Takashi Kishi 2007
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