近鉄八王子線・ナローの足跡 第6回 (Jun.19,2009)   近鉄内部線・八王子線 四日市駅
 

短い旅の中で

 寡黙にして仲の良き三人連れは、蛇行する天白川の流れのままに、何の変哲もない地方道を歩き続ける。
 この道路上に電車が走っていた、とはっきりわかった上で歩いているのだから、「廃線跡を探す」という意味での楽しみは無いに等しいのだが、それでも“現場”を見届けずにはいられない、というストイックな快感が、その体を支えている。

 一種の「ランナーズ・ハイ」状態に陥った私たちを慰めてくれるのは、歴史を感じさせる沿線の町並みである。今歩いている四日市市西日野町から室山町にかけての一帯は、製糸・製茶・醸造・農業などで栄え、それが早くから鉄道を引く原動力となった。
 文久2(1862)年、三重郡室山村の伊藤小左衛門(5世)が手繰製糸を開始したのがこの地の製糸業の始まりとされており、以降の事業展開の過程には、かの福沢諭吉や渋沢栄一の名前も登場する。さらにその流れは連綿と続き、幾多の合従連衡を経て現在の「TOYOBO(東洋紡)」にまで至っている、というから驚く。
 こうした由緒ある土地柄の遺構としては、旧四郷村役場が「四郷郷土資料館」として現存し、また「笹野酒造」(2008年3月廃業)、「神楽酒造」、「ヤマコ醤油」、「亀山製糸室山工場」(1994年操業停止)などの古めかしくも美しい建造物として、無意味にさまようかのような我々一行の目を楽しませてくれる。



 ・・・と、まあそういうことはネットや書籍でいくらでも紹介されているので、ここでは古い建物の写真などは載せない。
 それよりも、私の心に妙にひっかかって仕方がないのは、右の「仮設トイレ」の事なのだ。
これは、おそらくどのWebサイトにも、どのガイドブックにも載っていないに違いない。
 イベント会場や建築現場なんかでよくみかけるタイプだが、しかしこやつが置かれているのは、・・・「歩道」、すなわち「公道」なのである。
 ちょっと庭先が広いかなあ、といった程度の民家の敷地に隣接して置かれているが、その民家で何か工事が行われている様子もなく・・・。ただひたすら、道行く人に 肥し 癒しを与えているかのようだ。 
 金と時間を使ってでも来てよかったな、と思わせる要因は様々だが、今回はたまたま、その対象がこの「仮設トイレ」なのであった。
 実際、「せっかくだからあのトイレを使ってみたらよかったな」、という若干の後悔が今も私の心に残っていて、その為ならばもう一度この地を訪れてみてもかまわない、とさえ思っている。

 謎の仮設トイレ以外にはさしたる盛り上がりもなく1.5qの道中の終点を迎え、旧・伊勢八王子駅跡へと続く分岐点が現れた。
 それまでの2車線道路から、車の擦れ違いがやっとという程度の小路が分岐し、さらにかつての駅構内を偲ばせる一定の広がりを持った広場へと続いていく。いかにもここにナローゲージが敷かれていました、という生々しさが感じられる。
 隣接する民家の壁には、色褪せた学生服の広告看板。その民家と広場とを分かつ垣根には、往年の枕木が杭として使われていた。
 この広場は、鉄道の廃線後しばらくはバスの転回場として使用され、当時のバス停留場もそのまま残っている。その屋根を支える柱は古レールでできていて、「4504 ILLINOIS」の刻印をかすかに読み取ることができた。


右奥方向へ線路跡が分岐 線路跡から駅構内を望む 旧バス停に使われた古レールと
かすかに残る刻印



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