第5章 実地踏査3(市場へ) いよいよゴールを目の前にして、廃線跡はすべてフェンスに |
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この章で歩いた区間。番号は各写真の位置に対応> |
野田緑道の終点から道路を渡って 先に伸びる空き地。左に見えるのは、 トロ箱などを積んで市場内を往来する エンジン付きの台車。公道脇に何気 なく駐車(?)されているのが、 いかにも中央市場の門前町らしい | フェンスに沿って150mほど進むと 路地に突き当たってこれ以上は直進 できない。振りかえると廃線跡は最終 コーナーを回って最後の直線に入って いた | |
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市場構内への貨物線の進入口跡。 柵の向こうが部分的に舗装されている のは、やはりガレージ代わりなのか |
写真3の柵の向こうに古い鉄柵を発見。 部分的に縞模様に黄色く塗られていて、 鉄道の遺構に間違いない。これが本日 最後の収穫だった |
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写真3の位置から振りかえると市場の巨大な建物が。 駐車している2台の車の間を通って構内へ進入し、 到着線や入れ換え線、市場構内の支線などが分岐 していた。 現在の建物は貨物線の廃止後建てかえられたもので 当時の面影はない |
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全長わずか1.5km。ぶらぶら歩いても30分たらず、 探索はあっけなく終わりました。 もう一度、今来た道を逆にたどってみようかとも 思いましたが、やっぱりそれは止めました。一度見た きれいな夢は、そのままそっとしておきたかったから。 そして、最後に。 第1章で「後述」と述べた謎は、地元の福島区が編纂 した区制50周年記念誌「写真で見る福島の今昔」に 掲載された写真に潜んでいました。 そこに写っているのは廃止間近の「野田5丁目踏切」 ですが、踏切脇の立て看板には次の記述があります。 「お知らせ この踏切は昭和60年3月14日から 列車は通りません。 大阪鉄道管理局」 大阪市場線の廃止は、第1章でも書いた通り、 昭和59年2月1日。貨物線は廃止されたのに、 それから1年以上にわたって列車は走っていたのか? 新たな謎には違いありません。が、密かにたたずむ 大阪市場線の跡を見ていると、 「いまさらどうでもいいじゃない、そんなこと。」と、 静かに微笑んでいるようにも思えるのです。 |
(C)Takashi Kishi 2003 Train Banner (C) H.Kuma |
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