第2章 事前調査 新たに生じた疑問とは、「貨物線は、どうやって大阪環状線の高架から地平に降りたのか」ということでした。この問題を語るには、大阪環状線の成り立ちについて触れなければなりません。 大阪環状線が1961年(昭和36)に全通した時も、大阪〜西九条間だけはまだ地平を走っていました(右図の黄緑色の区間)。これは大阪〜桜島間が、もとは「西成鉄道」として建設された別路線だったことの名残です。 やがてこの大阪〜西九条間は3年後の1964年に高架となりましたが、もちろんこの時も貨物線(大阪市場線)は地平のまま(右下図)です。当然、どこかに高架から地平へ降りるランプ(坂路)があるはずです。これを見つけなくては、廃線跡を踏破したことにはなりません。 大阪環状線と同い年(1961年生)の私としては、長い間この電車に乗ってきたつもりですが、野田かいわいにそんなランプの存在など記憶にありません。ひょっとしたら、環状線は高架になっても貨物線は地上に残したのか?だとしたら、梅田貨物駅(大阪駅北側に隣接)から野田まで、地平の廃線跡を求めて歩かねばならないのか? などと、あれこれ頭を悩ませました。 高架完成当時の配線状況を調べようと、大阪市西区の「大阪市立図書館 本館」を訪れた私は、そこであの「大阪環状線めぐり」の本と再会しました。(立ち読みだけで買っていなかったので^^:) そして改めて「野田」のページを開いた瞬間、目からウロコがぽろりと落ちました。口絵に掲載されている、駅の構内を上空から撮影した写真には、高架から分岐して地平へ降りて行くランプが写っていました。こんなところにあったなんて・・・。 疑問も解消した私は、余勢をかって資料探しに没頭。地元・福島区発行の「区制50年史」や、大阪市場線現役当時の航空写真など収穫は大。 意気揚揚と、現地踏査におもむいたのでした。 |
1961年頃の大阪環状線・桜島線 1964年頃。 大阪〜西九条の高架が完成 |
《参考》 大阪環状線の成り立ち概略 1:大阪〜天王寺間 1895年(明28)に「大阪鉄道」が開業。のち1907年に国有化され「城東線」となる。 2:大阪〜桜島間 1898年(明31)、「西成鉄道」として安治川口まで開業。(桜島開業は1905年(明38)。)のち1906年に国有化され「西成線」となる。 3:天王寺〜西九条間 1961年(昭36)に開業。大阪環状線の成立。 なお、大阪環状線の成り立ちに関する詳しい情報は、JR西日本 交通科学博物館のホームページ(http://www.mtm.or.jp/)の「ミュージアムレポート−ぐるっと大阪環状線」にて掲載されています。(2003年9月現在) |
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