第1章 であい 事の起こりは、仕事帰りの書店でふと目にとまった1冊の鉄道本でした。 「ひと駅ひと物語 大阪環状線めぐり」(読売新聞大阪本社社会部 編)という タイトル通り、環状線各駅にまつわるエピソード集なのですが、単なる「駅に関するデータブック」に終わることなく、駅に関わりを持つ人々や街の表情が人情豊かに描かれていて、社会部記者らしい視点を感じさせる好著です。 もちろん、掲載されている多数の貴重な資料や写真にも興味が尽きません。 そして、その中の「野田駅」の項で取り上げられていたのが、大阪市中央卸売市場へと通ずる貨物線、通称「大阪市場線」なのでした。 |
「鉄道廃線跡を歩く」の巻末に掲載されている「全国廃線鉄道史」(和久田/石野 編)によれば、野田〜大阪市場間1.5kmの開業は、1931年(昭6)11月8日。廃止は1984年(昭59)2月1日となっています。(実はこの廃止日についてはある疑問が・・・ 後述。) 1984年といえば私が就職した年。遠い子供の頃の話ならともかくも、まだ20年もたたない当時に、市内をそんな貨物線が走っていたことに驚き、これは行ってみなくてはと、体じゅうの鉄分が熱くなるのを感じたのでした(^^:)。 |
さっそく、廃線跡の位置を調べにかかりました。「大阪環状線めぐり」には、「野田駅から大阪市場駅までは、大きく弧を描く、1.5キロの線路が敷かれ」ていたとあります。そこで大阪市の地図帳で福島区のページを開いてみると、それはあっさりと見つかりました。 野田駅前から、「野田5丁目」と同「6丁目」の境界線がきれいな半円形になって伸びていて、その先はぴったりと卸売市場の構内へと向いています。線路によって町界が区分されていたことがはっきりと読み取れたのでした。 位置さえわかれば勝ったも同然、いざ現地へ! と思ったその時。私の前にもうひとつの重大な疑問が立ちふさがったのでした! |
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