五能線の旅4(01/07/01)

第4章

  なんだかんだとやっているうちに、湖西線の終点である近江塩津の景色を見逃してしまう。湖北の入り組んだ地形の山間を縫って、米原方からの北陸本線が寄り添い、やがて湖西線と合流して、山間の殺風景な場所柄には不釣り合いな、広い近江塩津の構内に進入するシーンは、何度見ても飽きないのだが。
 有名なループ線へと続く、上り線の高架がオーバークロスしていく。まもなく敦賀だ。京都からノンストップで1時間以上かかる。案外遠いのだな、と思う。まだ北陸ではないが、何といっても日本海側であり、ちょっと遠くへ来たな、という気はする。東京界隈の人が箱根を越えたら、こういう気分になるのだろうか。
 相客の女性はカーテンを閉め、寝る体勢を整え始めた。備え付けの浴衣に着替えていると思しき衣擦れの音なども聞こえてきて、妙に艶めかしい。うれしはずかし、とはこういうことをいうのだろう。

 19時30分に敦賀到着。7分停車だというのでホームに降り、旅の空気を思い切り吸ってみる。さすがに裏日本で、ピリッとした冷たさを感じるが、雪は全くない。
 ひっそりとしたホームを東端まで歩く。北陸自動車道のナトリウム灯くらいしか目立ったものはなく、北陸トンネル開通までの難所だった木の芽峠へと続く稜線も、暗くて見えない。編成の先頭まで行ってみる。赤い電機の機関士は何か本を読んでいる。時折、思い出したように単機用のブレーキハンドルに手をやって、シュ、シュと利きを確かめている。
 敦賀のホームの敷石は、明治だか大正だかの往時そのままだ。「鉄道ファン」誌に掲載された古い写真を手にここを訪れ、実際の風景と照らし合わせて、写真が撮影されたのと同じ場所に立ってみたこともある。その時は、当時使われた「ランプ小屋」が、準鉄道記念物か何かとしてホームに残っていたのだが、今日探してみるとみあたらない。ホームが1本違ったようだ。
 その隣のホームに、金沢行きの「雷鳥」が後からやってきて、我が「日本海」を追い抜いて出ていく。自作のダイヤグラム表によれば、大阪から弘前までの間に、特急14本、急行1本、計15本の優等列車とすれ違うことはわかるが、特急が特急を追い抜く、というパターンまでは考えていなかった。
 あっという間に7分停車が過ぎて発車。さっきホームから見た北陸自動車道が頭上をまたいでいく。この交差地点あたりの線路際には、北陸トンネル工事殉職者の慰霊碑があるはずなのだが、暗くてよく見えない。北陸本線旧線跡の道路もそのあたりから分岐していくのだが、久しぶりに来たせいか、これまたよくわからないままに列車はトンネルに入った。いよいよ北陸路である。

〔本稿は1998年1月から1999年3月にかけ、H.Kumaさんのホームページ「RAIL & BIKE」
(http://hkuma.com/)
にて、不定期連載として発表したものです〕