■ 第4章  なんだかんだとやっているうちに、湖西線の終点である近江塩津の景色を見逃してしまう。湖北の入り組んだ地 形の山間を縫って、米原方からの北陸本線が寄り添い、やがて湖西線と合流して、山間の殺風景な場所柄には 不釣り合いな、広い近江塩津の構内に進入するシーンは、何度見ても飽きないのだが。  有名なループ線へと続く、上り線の高架がオーバークロスしていく。まもなく敦賀だ。京都からノンストップで1時 間以上かかる。案外遠いのだな、と思う。まだ北陸ではないが、何といっても日本海側であり、ちょっと遠くへ来た な、という気はする。東京界隈の人が箱根を越えたら、こういう気分になるのだろうか。  相客の女性はカーテンを閉め、寝る体勢を整え始めた。備え付けの浴衣に着替えていると思しき衣擦れの音な ども聞こえてきて、妙に艶めかしい。うれしはずかし、とはこういうことをいうのだろう。  19時30分に敦賀到着。7分停車だというのでホームに降り、旅の空気を思い切り吸ってみる。さすがに裏日本 で、ピリッとした冷たさを感じるが、雪は全くない。  ひっそりとしたホームを東端まで歩く。北陸自動車道のナトリウム灯くらいしか目立ったものはなく、北陸トンネル 開通までの難所だった木の芽峠へと続く稜線も、暗くて見えない。編成の先頭まで行ってみる。赤い電機の機関士 は何か本を読んでいる。時折、思い出したように単機用のブレーキハンドルに手をやって、シュ、シュと利きを確か めている。  敦賀のホームの敷石は、明治だか大正だかの往時そのままだ。「鉄道ファン」誌に掲載された古い写真を手に ここを訪れ、実際の風景と照らし合わせて、写真が撮影されたのと同じ場所に立ってみたこともある。その時は、 当時使われた「ランプ小屋」が、準鉄道記念物か何かとしてホームに残っていたのだが、今日探してみるとみあた らない。ホームが1本違ったようだ。  その隣のホームに、金沢行きの「雷鳥」が後からやってきて、我が「日本海」を追い抜いて出ていく。自作のダイ ヤグラム表によれば、大阪から弘前までの間に、特急14本、急行1本、計15本の優等列車とすれ違うことはわ かるが、特急が特急を追い抜く、というパターンまでは考えていなかった。  あっという間に7分停車が過ぎて発車。さっきホームから見た北陸自動車道が頭上をまたいでいく。この交差地 点あたりの線路際には、北陸トンネル工事殉職者の慰霊碑があるはずなのだが、暗くてよく見えない。北陸本線 旧線跡の道路もそのあたりから分岐していくのだが、久しぶりに来たせいか、これまたよくわからないままに列車 はトンネルに入った。いよいよ北陸路である。 〔本稿は1998年1月から1999年3月にかけ、H.Kumaさんのホームページ「RAIL & BIKE」(http://hkuma.com/)にて、不定期連載として発表したものです〕