飯田線・雨のち晴れ 第1回 (Oct.15,2007) | |
■よいしょ、と腰を上げる時 「飯田線」と聞いて、人はどういう反応をするだろうか。健全な人に問うたところで「何ですか、それ」で終わるのがオチだから、話を鉄道ファンに限ることにするが、歴史派に属するファンならば、4つもの私鉄(豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道)がつながって現在の路線形成に至ったことをとうとうと解説してくれるだろうし、車輛派、あるいはオールドファンならば、かつての旧型国電王国を懐かしむに違いない。そして汽車旅派なら、その路線の長大さと運転本数の少ないことをあげるだろう。 運転本数が少ないからいろいろと制約が生じてくるが、その困難を乗り越えて旅程を作成し、実際にでかけて長時間の乗車にじっと耐える。条件が難しいほど情熱が湧いて来る、それが愛好家というものだ。 私も飯田線には長年乗りたいと思っていた。朝から夕方までずっと鈍行の中、という状況は「非日常」の極致であって、それ以上贅沢なものはない。それはいいのだが、問題なのはその地理的要因である。 始点の豊橋は、大阪から見て名古屋ほど近くもなく、東京ほど遠くもない。なんとなく中途半端で、出かけるのにどうも気合が入らない。辰野側から下るにも、せっかく大阪から中央本線で塩尻まで出ておきながら、さわやかな信州を目前にして素通りせねばならないというのは、なんとももったいない。そんなこんなで、その気になれば日帰りもできるのに、今まで出かけずにいた。 その飯田線に乗る機会がやってきた。10月(2007年)の三連休、南足柄市(神奈川県)で開催されるブラスアンサンブルの演奏会へ出演するのを機に、その帰路を利用して回ってこよう、ということになった。 同行は例によって友人のM君で、私の旅行記でも福井や近鉄八王子線の項でおなじみだ。彼もトランペット奏者として私と同じ団体に所属している。最近ではこうやって、一緒に行こうと背中を押してくれる相手がいないと、なけなしの金と時間を使ってまで遠出をしよう、という踏ん切りがなかなかつかなくなってきた。 |
旅程の決定までには、少々の議論があった。議論といっても別にもめたわけではなく、ああしたい、こうしたいという楽しいアイデアの応酬である。 8月のお盆明けのある日、私はメールで第1球を投げた。 「演奏会の帰り、どうします?飯田線に乗るとか」 何のことはない、最初に誘ったのは私の方であった。 「ちょっと無茶だけど、まず上野に出てから急行「能登」に乗り、糸魚川から松本に戻って飯田線、はどう?」 と、M君から返球。相当なクセ球である。 確かに、今時貴重な夜行急行列車は多いに魅力的だ。しかし、おりしも7月16日に発生した「平成19年新潟県中越沖地震」によって、青海川駅が土砂に埋まるなど、信越本線は大打撃を受けて不通となっていた。運転再開のめどが立たないことから、この案は泣く泣く見送りとなった。(結果的に、9月13日から不通区間の運転は再開された) 代わって私が提案したのが、御殿場線と身延線、そして飯田線をまとめて片付ける、という案だった。三連休初日の演奏会の後は、演奏会の幹事である地元団体の手配によって、大磯プリンスホテルに1泊して大宴会、という手はずになっており、大磯といえば国府津は目前である。 そこで、まず翌日に国府津から御殿場線を回った後、沼津〜富士と東海道線を経て身延線に入り、甲府から中央本線で岡谷に至って一泊。明くる三連休最終日に飯田線を豊橋まで乗りとおして帰宅、という成案を得た。大磯から豊橋までは、ジグザグに北上と南下を繰り返す。その経路の形をもじって、「M字開脚作戦」(笑)と命名した。 「こういう機会でもなかったら、飯田線どころか御殿場線や身延線なんか、一生乗ること無かったんとちゃう?」 我々はプランの出来映えに上機嫌であった。 2007年10月6日(土)、快晴の新大阪駅を8時19分発の「ひかり404号」でスタート。名古屋からは、近鉄で先回りしていた奈良県民のM君が合流する。静岡を過ぎると日が陰り、視界も悪くなって期待していた富士山は拝めない。熱海で「こだま568号」に乗り継ぎ、11時17分に小田原に到着する頃には一面の曇天となった。新幹線のスピードは、天気の変化をも追い越してしまう。 小田原から伊豆箱根鉄道に乗り換えて、終点の「大雄山」が今日の演奏会の舞台である。地方私鉄の終着駅らしく駅舎はひなびているが、南足柄市の市役所を擁する中心地なので、駅前にはショッピングセンターなどもあり結構が整っている。 改札口の脇に金太郎の像がある。熊にまたがってお馬の稽古の真っ最中であった。「足柄山の金太郎」のお膝元、というわけだが、金太郎にあやかった看板は、この後、御殿場線の界隈でもちょくちょく目にすることになる。 その日の午後にはあわただしく本番(脚注)を終え、南足柄から大磯へと貸切バスで移動する。西日本の好天が半日をかけて東進したらしく、空は穏やかに晴れて秋風の清涼さを際立たせる。 御殿場線の「母なる川」、酒匂川の広々とした流れを渡る。西に望む箱根山系も、釣り糸を垂れる川面の人影も、茜がかった空気の中に悠然とたたずんでいる。見とれるうちに、バスは明日乗る予定の御殿場線のガード下をくぐった。 ホテルの窓から、今朝は曇天で見られなかった富士山の、美しいシルエットが見えた。明日の御殿場線、そして身延線の車窓では、さらに近くにその姿を拝めるはずなのだが、さて。 |
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(C)Takashi Kishi 2007 |