五能線の旅6(03/01/05)
第6章
停車のショックで目を覚ます。まだ薄暗い。5時34分、秋田。定刻である。
今日の夕方には再び秋田に戻ってきて、飛行機で帰阪することになっているが、まだ実感はわかない。さすがに、あたりにはうっすらと白いものが見える。何か安心したような気になって、もう一度眠りにつく。
大館あたりまで、うとうととまどろんではまた起き上がり、半開きのカーテンの隙間から景色を眺めることを繰り返すうちに、雪明りから本物の朝の明るさへと窓外が変化していく。東能代で降りずに、弘前まで足を伸ばして、五能線を南下するコースを選んだおかげで、こうしてぼんやりと寝台で過ごす時間を得られたわけだ。地図と景色を見比べてはひさびさの雪景色を楽しむ。
大鰐温泉までくると、さすがにのんびりとはしていられない。10分足らずで身仕度を済ませ、下車に備える。弘南鉄道の線路がつかず離れずに望める。単線の古びたコンクリートの高架をくぐって、7時51分、凍てついた弘前のホームに立った。
発車以来の相席だった女性も、一緒に降りた。不思議なもので、大阪駅のホームで見送りの彼氏とおしゃべりしていた人とは、別人に見える。大阪から夜行で弘前までやってきたからには、こちらの出身なのに違いない。東北から大阪に出てきて、普段はちょっと背伸びをして都会暮らしをしている女性が、久々にふるさとに戻ってきたのか、と思うと、素朴な素顔を垣間見た気がして、好ましい感じがする。恐らく本人も、列車から降り立った瞬間に、本来の自分に戻れた安らぎと解放感を味わっているに違いない。
出口へ向かう彼女の後ろ姿を見送って、自分はしばらくホームに留まる。下車しても、すぐに改札をくぐる気にはなれない。一晩お世話になった列車を、きちんと見送りたい。夜行で一晩過ごしたという事実の再確認、寝台という非日常的な空間を満喫したひとときへの惜別、そして新しい一日の始まりへと気持ちを切り替えるための、一種のけじめ、儀式である。
金沢で乗り込んできた親子連れだろう、まだ学齢にも達していない女の子が、窓の中からこちらを見ている。一晩を同じ列車で過ごした連帯感からか、私はその女の子に向かって手を振ってみた。見知らぬおじさんに突然手を振られた子供はいい迷惑である。引きつった表情の女の子を乗せて、青い列車は名残りを惜しむ私の気持ちも知らぬ気に、ぐんぐん加速して急カーブの向こうに消えていった。我に帰ると、乗降客でひとときの賑わいを見せたホームにすでに人影はなく、「りんごの里」と染め抜かれたのぼりだけが、冷たい風に裾をばたつかせながら私を見ていた。
日本人には、「ハレ」と「ケ」という概念がある、という話を何かで読んだ事がある。「ハレ」とは、五穀豊穣を祈る各種の祭りに代表されるように、日常のつらい農作業からしばし解放され、酒や歌、踊りでひとときの楽しみに興じるといったニュアンスがある。日常に対する非日常、である。一方「ケ」とは、原始的な占いや信仰上の理由から、身を清め派手な行いは控える、という様な、日本人特有のつつしみ深さに通ずる部分である。
昨日の旅立ち以来、日常の緊張がほぐれるにつれて、その「ハレ」の気分が徐々に高まり、いよいよ五能線への初乗りを前にして、それはピークに近づきつつある。女の子に手を振ったりしたのは、その「ハレ」の気分のなせる業である。
さて、これからどうするか。せっかくだから、弘南鉄道に乗って、黒石経由で川部まで行って五能線に乗り継げないかと思った。JRの改札を出たすぐ並びに弘南鉄道の窓口がある。おばさん職員がいて、うすい紺色の制服らしきものを一応着こなしている。「黒石までどれくらいかかるか」と尋ねたところ、東北人特有の愛想の無いそぶりで「35分くらい」と答えた。黒石から川部への乗り継ぎがスムーズに行くのかどうかよくわからないし、朝食もとらねばならない。時刻表を見ると、次の黒石行は8時ちょうどの発車で、あと2分しかない。判断するには時間がなさすぎて、弘南鉄道はあきらめ、当初の予定通り城下町観光に切り替えることにした。
待合室の一角にある蕎麦屋で朝食を取りながら、カウンターの中のおばさんに弘前城までの所要時間を尋ねる。30分くらいとのことで、少し遠い気はするが、とにかく時間はたっぷりあるので歩いてみることにする。
青森県下の主要都市としてふさわしい結構を整えた弘前駅前から、向かって右手の大通りを歩く。牡丹雪が降りしきっている。積雪は5cmくらいで決して多くはないが、歩道は凍結していて滑りやすい。路面を真上から踏みしめるようにして、転ばないように気をつけながら歩く。途中には、地元民放局の支社ビルもあったりして、弘前が青森県南部の重要な位置をしめていることが伺える。
ひたすら進むと、きっかり30分で城跡の公園に突き当たる。堀がめぐらされていて、まっすぐには公園に入れない。左へ回りこんで追手門側に進む。牡丹雪は激しくなっていて、コートの肩に降り積もっている。荷物を減らすために、傘は持って来ていない。
門前の案内板によれば、弘前城は、1611年に津軽藩の第2代藩主・津軽信枚(のぶひら)により開かれ、この三の丸追手門は重要文化財とのこと。誰もいない公園内を、さくさくと進む。いつしか、牡丹雪は粉雪に変わっている。
標識にしたがって天守閣を目指すのだが、なかなかその姿を現さない。やっとたどり着いて見ると、拍子抜けするほどかわいい天守閣である。再び案内版を見ると、創建当時の天守閣は1627年に落雷により焼失したため、1810年に第9代藩主・津軽寧親により本丸辰巳櫓が現在地に移築された、とある。櫓だと思って肩の力を抜いて、内堀を隔てた距離から見れば、それなりの構えではある。
ひたすら天守閣を目指して来たので、追手門まで戻る道すがら、改めて公園内を見渡してみる。相当に広い。背の高い針葉樹が豊富に、しかも計算されて配置されており、敷地内には植物園もあるという。まだ観光客も少なく、しかも雪が積もっているので、シーンとして何も聞こえない。人恋しくなるような静けさだと思っていたら、若い女性客の歓声が近づいてきて、何かホッとさせられる。
駅まで同じ道を引き返すのはおっくうだったので、追手門前にたむろしているタクシーを奮発する。肩の雪を払って、やれやれと乗り込む。
「ここんとこ暖冬で、今年も雪が少ないです。普段の今頃なら30cmは積もりますが」「雪が少ない方が運転するにはいいですが、昼間の暖かさで溶けた雪が夜中に凍るので、こいつはちょっとやっかいです」「大鰐温泉のスキー場は有名ですが、近ごろの若い人はわざわざ雫石(岩手)まで出かけたりするようになりました」などと運転手の話を聞くうちに、10分足らずで駅前に到着し、束の間の弘前観光は終わった。
乗り継ぎの時間を気にして道中を急いだ結果、30分も待ち時間が出来てしまった。丁度9時半となり、駅ビルのショッピング街がオープンしたので入ってみる。薬局で糸ようじを買い、トイレに入る。それでも時間が余るので、コンコースをうろうろして暇をつぶす。
待ち合わせらしい高校生くらいのグループが、「あ、おはよう。こんなところでどうしたの」みたいな会話を交わしている。津軽弁だから、同じ高校生でも都会と比べて可愛げがある。地元の人の何気ない会話を聞きながら、発車までのひとときをぼんやりと過ごすのは楽しい。上野駅にやってきた啄木の気分である。こういう何気ないところに、旅の醍醐味があるのだと気付かせてくれる一瞬である。
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