越前国徘徊録・三国編 第2回 (May.14,2006)  
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東尋坊口 あっち? こっち!?

 橋脚跡を過ぎ、再び幹線道路を西へ移動。旧線跡は比較的新しく造成された住宅地によってほとんど跡形もないようだが、それでも築堤のようになった地形や家屋の建ち並び方から、どこが線路であったかなんとか見当をつけながら、C地点までやってきた。
 橋脚の方向から線路が伸びてくればこのあたりに姿を現すはずだが…と目星をつけて、なだらかな丘陵地に造成された碁盤の目のような住宅地の中を探索するうちに、怪しい道路に行き当たった。緩やかなカーブを描いた一本道が勾配を登ってきて(左写真上段)、その行く手は丘陵のピークへと続いている(中段)。しかしその先は、こんもりとした丘に行き当たり、とてもその上を急勾配で乗り越えたようには思えない(下段)。
 他に旧線跡らしい道もないはずだが・・・、とM君と二人でなおも右往左往していると、空き地の清掃をしていた60歳くらいのおじさんが、ホウキを手にしたまま怪訝な表情で近寄ってきた。
 
「あんたたち、何の測量やってるの?!」
 地味なジャンパー姿のM君と私が、地図とカメラを手にして同じ道を行ったり来たりしているものだから、そう間違われても無理はない。正直に目的を話すと、おじさんはホッと表情を崩して、ああそうなの?!と少し甲高い声で言った。
 「へえ、大阪から来たの… あんたは奈良? ああそお。 ・・・・電車だったらね、そこんとこ走ってたよ。ホラ、その道ンとこ。」
 おじさんが指したのは、やはりさっきの道だった。地獄に仏、と書くとオーバーに聞こえるが、決め手をつかめずに歩き回っていたM君と私には確かにそう見えた。写真撮らせて下さい、といいかけたが、そこまで巻きこむのも申し訳無いので遠慮した。人間嫌いのくせに話好きのM君は、まだ何やかやとおじさんから聞き込みをしている。
 それにしても、まだ電車が走っていた昭和10年代の記憶があるということは、このおじさん、実年齢よりも10歳は若く見える。




歩き疲れて日が暮れて

 空き地にとめてあった車でおじさんは帰っていった。私達は再び歩き出した。
 線路跡の道路の行く手を阻んでいた小高い丘は、間近に観察してもやはりそのまま乗り越えるのは無理なようだ。恐らく急カーブで迂回したのだろうということにして先に進む。
 道が二手に分かれるD地点は、旧線が横切っていたと思われる重要なチェックポイントなのだが、あたりは整然とした住宅街と雑木林が混在していて、線路の痕跡を求めて分け入る横道さえ見つからない。Googleマップの衛星写真までプリントアウトして持参しているが、旧線跡らしい影も写し出されてはいない。行ったり戻ったりを繰り返したがさしたる手がかりも無く、やはりこの道を行くしかなかろうとE地点までやってきた。
 図に記したD地点からE地点までの旧線の経路も、資料の廃線本に掲載された新旧の地形図を照らし合わせて推定したものに過ぎない。
 最終目標である東尋坊口駅の位置の評定も、これまたままならない。やはり新旧の地形図の照合で推定を試みるが、古い道路は形が変わり、山林だったところには新しい道路ができて家が建っている。古くから変わらぬ場所にあるはずの寺社なら基準になるだろうと地図を見れば、卍マークの位置が昔と今ではズレていたりして、こうなると昔の地図の精度まで疑われ始めて、厳密に照合することの意味さえ怪しくなってくる。そうこうするうちに夕暮れの気配が漂い始めた。
 探索の最後に、おおよその見当をつけて左の2葉の写真を撮った。今歩いてきた幹線道路から分かれて海水浴場の方面へ降りる地道があるが、上段の写真はその三叉路付近から地道の東側を、下段は西側をそれぞれ写したものだ。
 上段の写真の左端に高台が見えるが、この高台の上は今公園か、あるいは何かの施設の園庭のようになっていて、駅があったとすればそのあたりであろう。
 また、この地道は古い地図にも載っているが、それによれば現在のように幹線道路と直角には接しておらず、なだらかなカーブを描いて西方へと続いていた(現在の三叉路から東側には当時は道が無かった)。とすれば下段写真に写っている公園の一角を地道が横切っていたことになり、そうなれば写真右隅の公衆トイレあたりまでかつての駅の位置が食い込んできていた可能性もある。

 こうやってあれこれ推理するのは楽しいことではあるが、確たる痕跡もないので不完全燃焼の疲労感が先に立つ。さっきのおじさんに駅の位置まで聞いておけば良かったと後悔するが後の祭である。
 いずれにしても、古い地図に記された地道と駅との位置関係からすれば、これよりも先に線路が伸びていた可能性はなく、東尋坊口駅の最後を見届けたことには間違いない。そう自分を納得させて、だらだらとした坂道を海岸へ向かって降りていった。三国港の駅までは10分足らずの道のりである。
 林間の小路を抜けると日本海が広がった。浜辺の松林を通して吹き上がる海風は心なしか春の香りがする。日の傾いた九頭竜川の河口には、明治ゆかりの治水建造物「エッセル堤」が今もその伸びやかな姿を見せている。東尋坊口駅を降り立った昭和の旅人たちも、かつてはこうして同じ景色を眺めたのだろう。 (おわり)

(C)Takashi Kishi 2006
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