越前国徘徊録・三国編 第2回 (May.14,2006) | |
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■東尋坊口 あっち? こっち!? 橋脚跡を過ぎ、再び幹線道路を西へ移動。旧線跡は比較的新しく造成された住宅地によってほとんど跡形もないようだが、それでも築堤のようになった地形や家屋の建ち並び方から、どこが線路であったかなんとか見当をつけながら、C地点までやってきた。 |
「へえ、大阪から来たの… あんたは奈良? ああそお。 ・・・・電車だったらね、そこんとこ走ってたよ。ホラ、その道ンとこ。」 おじさんが指したのは、やはりさっきの道だった。地獄に仏、と書くとオーバーに聞こえるが、決め手をつかめずに歩き回っていたM君と私には確かにそう見えた。写真撮らせて下さい、といいかけたが、そこまで巻きこむのも申し訳無いので遠慮した。人間嫌いのくせに話好きのM君は、まだ何やかやとおじさんから聞き込みをしている。 それにしても、まだ電車が走っていた昭和10年代の記憶があるということは、このおじさん、実年齢よりも10歳は若く見える。 ■歩き疲れて日が暮れて 空き地にとめてあった車でおじさんは帰っていった。私達は再び歩き出した。 線路跡の道路の行く手を阻んでいた小高い丘は、間近に観察してもやはりそのまま乗り越えるのは無理なようだ。恐らく急カーブで迂回したのだろうということにして先に進む。 道が二手に分かれるD地点は、旧線が横切っていたと思われる重要なチェックポイントなのだが、あたりは整然とした住宅街と雑木林が混在していて、線路の痕跡を求めて分け入る横道さえ見つからない。Googleマップの衛星写真までプリントアウトして持参しているが、旧線跡らしい影も写し出されてはいない。行ったり戻ったりを繰り返したがさしたる手がかりも無く、やはりこの道を行くしかなかろうとE地点までやってきた。 図に記したD地点からE地点までの旧線の経路も、資料の廃線本に掲載された新旧の地形図を照らし合わせて推定したものに過ぎない。 |
(C)Takashi Kishi 2006 |