山陰本線・駆けある記 まえがき (Sept.19,2004) ■一路、下関へ  「山陰本線のイメージは」と聞かれて、ピンと来る人・来ない人さまざまだろうが、大阪在住の「鉄ちゃん」である私としてはこれまでに何度もお世話になったし、家族や友人など、共に旅した人々との思い出もたくさんある。少し大げさに言えば、「青春の汽車旅」のメイングラウンドとして欠かすことはできなかった。冒頭の問いかけを自分自身に投げかけてみれば、その解のひとつとして「青春」というキーワードが返ってくる。必ずしも年齢的なことではなく、そこに行けば若い日と同様に、あの汽車旅青年のバイタリティを取り戻すことができるはずだ、との期待が込められているのだろう。  しかし数字で見てみると、山陰本線の全線(京都〜幡生間、支線を除く)673.8kmのうち、私がこれまでに乗ったのは始点の京都から西端は出雲市までの約380kmに過ぎず、残りの約290km、四割以上もの区間がすっぽりと未乗のままであった。未知の領域をこれほど残しておきながら、残りの六割弱だけをあれこれ回想して、イメージがどうのと訳知り顔で語るというのは、やはりまずいのではないか。これはどうしても全線を乗り通さねばならない、かなり以前からそう考えてはいた。  そして今年、サラリーマン生活満20年のご褒美として10日間の休暇取得の権利を得たのを機会に、いよいよ山陰路を西の果てまで進んでみることにした。幡生までの山陰本線を乗り通し、山陽本線に合流して本州最西端の下関を目指す。さらには九州に渡って、今はやりの門司港レトロ地区も眺めて来ようという試みである。 (実際にはこの休暇はひとまずお預けとなったのだが、仔細は別項にて。)  「大阪から山陰へ出かけるのに、休暇の取得などと大げさな」と思われるかも知れないが、それこそが、これまで出雲市〜幡生間が未乗のまま残った所以なのであって、「あのへん」まで出かけるとなると、いくら大阪からとはいえ、さすがに「遠い」のである。ただ単に距離の遠近だけではなくて、どれ行ってみるか、と腰を上げるのに要するエネルギーの多寡も影響する。  例えば、これまでに乗った京都〜出雲市間の場合はどうか。  名湯・城崎温泉や鳥取砂丘、歴史と文学の町・松江、神話の国・出雲など、まともな神経をお持ちの方を対象とした一般観光地だけを挙げても、沿線に数珠つなぎで目移りがしそうだ。ましてや鉄道ファンにとっては、景勝地・保津峡をめぐる鉄路変遷の跡や餘部鉄橋、地方鉄道として異色の健闘を続ける一畑電鉄、少し山間に分け入って出雲坂根のスイッチバックなどなど、垂涎の名所も数多い。関西から直通の列車もたくさん走っている。自然と足が向くわけだ。  一方、今回の未乗区間には、隣り合った駅同士の名前を並べると人名になるというのでマニアには知られた「萩」・「玉江」、日本でも有数の難読駅名である「特牛(こっとい)」などが含まれているが、それを見届けるためだけに出かけるというのはなかなかシンドイ。一般向けの観光地としては鍾乳洞で名高い「秋芳洞」が近いが、新幹線全盛の今となっては山陽側から訪れるのが常道だろう。  そんなこんなで、それでも実際に行ってみよう、とアクションを起こすには相当のエネルギーが必要で、そのためにこれまでどうしても後回しになってきた。  かなり前置きが長くなったが、ここで今回の全行程をご紹介させていただく。  ●2004年9月11日(土)   ■自宅発:21時頃(JR阪和線・紀州路快速にて大阪駅へ)   ■大 阪 (23時15分発) 〜 米 子 (翌日5時42分着)  福知山線経由 急行「だいせん」                                (途中倉吉〜米子間快速)  ●2004年9月12日(日)   ■米 子 (5時42分着)   ■米 子 (5時45分発) 〜 松 江 (6時14分着) 119D   ■松 江 (7時28分発) 〜 益 田 (10時29分着) 快速「アクアライナー」 3451D   ■益 田 (11時01分発) 〜 長門市 (12時53分着) 1573D   ■長門市 (13時51分発) 〜 小 串 (14時58分着) 973D   ■小 串 (15時09分発) 〜 下 関 (15時50分着) 879D   ■下 関           〜 門司港          *徒歩連絡   ■門司港           〜 門 司          鹿児島本線普通列車   ■門 司 (19時00分発) 〜 新門司港 (19時20分着) 名門大洋フェリー送迎バス   ■新門司港 (20時00分発) 〜 大阪南港 (翌日8時00分着) 名門大洋フェリー「ふくおか2」  ●2004年9月13日(月)   ■大阪南港 (8時00分着) ・・・・・ (自宅帰着:10時頃)  ご覧の通り、2泊3日とはいいながらも夜遅くに出発して朝早くに戻ってくるので、北九州まで足を伸ばしてくる割りには慌しい。これがタイトルを「駆けある記」とした所以なのだが、内容は夜行あり、ローカル線あり、そしてナゾの「徒歩連絡」ありと、巧まずしてバラエティに富んだ道程となってきた。この道中をどのようにご紹介したものかと、かなり考えあぐねた結果、この「まえがき」を付した上での本稿3部作、という構成にさせて頂くこととした。  これら3つのルポは行程としてはひとつの「スジ」として連続するのだが、内容的にはおのおの独立した完結性を持っている。これは、鉄道・徒歩・船舶といった、交通機間の多様性のみに負うものではなく、全長673.8km、「日本一長いローカル線」である山陰本線の持つ表情が、これまた一様ではないことも意味している。どうぞお付き合いをお願いする次第である。