こだまで帰ろう、東海道。 (2010年2月6日)
2月某日。東京での所用が早く終わり、銀座の雑踏の中一人立って、さてこれからどうするかと考えた。
急いで帰らねばならぬわけでもなく、さりとて都内でぶらぶらしていても余計な金を使うばかりだ。どうせなら車内でゆっくりしたいと思い、この機会に、かねて抱いていたある“願望”を実行に移すことにした。新大阪まで、各駅停車の「こだま」で帰ろう、というのである。
銀座の街並みをぶらぶらと歩き、15分ほどで東京駅に着いた。東海道のこだまは30分ごとに名古屋行きと新大阪行きが交互に出ているが、今はちょうど新大阪行きの発車10分前で、これは幸先が良い。車両は300系で、今となっては過去の栄光も何処への感があるが、私はこの300系の適度に弾力のあるシートが好きだ。
気持ちよい冬晴れの東京を発車して、品川、新横浜と停まる。これは何に乗ってもいっしょだから、こだまの旅の“真価”はここからである。
新横浜を出て早々、右窓上方を黒い排ガスの尾を引きながら航空機が急旋回して行った。厚木基地へ降りる米軍機である。普段見かけないものを見た。眼福である。
関東平野が尽きて大磯町に入る。右窓に迫ってきた形の良い山は鷹取山で、200m級の低山だが山頂付近はうっすらと白い。数日前の関東地方は都内でも数センチの積雪があり、慣れない雪道で転倒して死傷者まで出たと報じられた。
小田原を過ぎるとまったりと眠くなる。新幹線の中では眠る習性がついているので、空気枕・アイマスク・耳栓・携帯用スリッパの“旅行用4点セット”を完全装備している。
三島停車のアナウンスでチラと目を開けた記憶があるが、次に目が覚めると新富士に停車中であった。ここは富士山見物の特等席で、今日の富士は快晴の空に白いコニーデがくっきりと映えて美しい。これほどヌケの良い富士山を車窓から見たのはもう何年も記憶にない。満足してまた眠る。
掛川から浜松、浜名湖あたりは夢の中で、気が付くと今度は豊橋に停まっている。構内の北はずれを東西にまたぐ道路橋は元伊勢電気鉄道の宮川橋梁を移設したものであることは、そのスジでは有名な話。その橋の下を単行電車がとことことやってきて、新幹線とは構内の対極にある飯田線ホームに停まる。入れ替わるように、今度は2両編成が発車していく。すると今度は、同じ2両編成がまた到着してきて… と、偉大なローカル線にしちゃあ本数が多すぎないかと思ったが、これはどうやら運輸区との行き来も含まれているようだ。
飯田線とホームを共用している名鉄のパノラマカーが発車し、ワンテンポ遅れてこだまも動き始めた。構内を出て豊川を渡る頃には追いついてパノラマカーと併走する。その背後に見える伊那谷の方角は厚いもやのような雪雲で霞んでいて、3年前の5月連休に飯田線を完乗した時の思い出を探そうとする私の視界を閉ざしていた。
次は三河安城に停車。三河、と聞くとかなり西まで来たな、という気になる。ホームに設置されたエレベータ棟の塔屋は、幼稚園の様な三角屋根をしていて愛らしい。こんなことも、のぞみで通過していてはわからない。
発車しておもむろに席を立つ。私が陣取っているのは4号車で禁煙だが、隣の3号車は喫煙車である。これは乗車時に計算しておいたことで、乗車中タバコを我慢しろと言われればできないことはないが、トイレのついでに一服というのは自然な行動摂理だろう。少しは歩いておかなくては、座りっぱなしでは腰が痛い。
3号車は他のクルマとくらべて格段に混んでいる。追いやられたスモーカーが一極集中しているように思われる。
見つけた空席の一角であわただしく一服しながら車内を眺めると、壁面はこすれたような汚れとタバコのヤニで、相当にくたびれている。それなりに車歴を重ねた300系とはいえ、やはり喫煙車両というのはこれほどに痛めつけられているものかと、自身が喫煙者でありながら勝手な感想を抱く。息詰まるような紫煙の渦と、名古屋到着を告げるアナウンスに急き立てられて、自席へ逃げ帰った。
名古屋では7割方の客が降り、それなりに新しい客が乗った。短区間で常に乗客が入れ替わる、それが各駅停車のこだまの宿命でありながら、東京から新大阪まで乗り通すような客は恐らく私だけだろう。そう思うと、何か愉快になってきた。
岐阜羽島を出ると、次の見所は関ヶ原通過だ。目指す西の方角には、すでに灰色の雲が垂れ込めている。
発車して早々、車窓は乳白色の雲に突っ込んだかの様に霞み、ガラス面には水滴が糸を引き始める。関ヶ原名物(?)の融雪用スプリンクラーが既に作動しているのだ。これはさすがに気が早いのではないかと思ったが、それもつかの間、平地から養老山地の裾野に取り付いた途端、一面は銀世界に姿を変えた。積雪量は数センチ程度だろうが、葉を落とした木々は既に樹氷のごとくで、信州あたりに一気に迷い込んだような錯覚に陥る。視界も悪く、恐らく全山白一色であろう伊吹山も、どこにあるのかさえまったくわからない。
しかし、関ヶ原トンネルを抜けて滋賀県に入った途端、地表の雪はまったく消え去っていた。恐るべし、冬の関ヶ原。スプリンクラーは米原駅構内まで作動し続けていたが、雪が無くては単なる長大な洗車機にしか過ぎない。米原に停車してみると、みぞれが断続的に舞ってはいたが、それが一瞬の北国の夢の見納めであった。
琵琶湖西岸の比良山系に日が落ちた。あとは京都停車を残すのみで、ここまでくればのぞみもこだまも、大した違いは無い。結局、ほとんど退屈することもなく新大阪まで帰ってきた。
道中、恐らく10本以上ののぞみ・ひかりに追い抜かれはしたことだろうが(半分くらいの時間は寝ていたので正確には数えていない)、しかし停車するたびに何かしら発見があり、隔離された冷たい窓ガラスの向こうからも、土地の匂い、旅情のかけらを感じ取ることができた。今となっては時代遅れの300系は、確かにのぞみほどのスピードは出ないのかも知れないが、それだけに流れ去る車窓から何かを感じ取れるだけの余裕が生まれる。適度に走り、適度に停車する「こだま」だからこそ、退屈しないのである。
東京〜新大阪間、各駅停車でおよそ4時間。はるばる東海道を下り、東京・大阪の2大都市圏を移動するという大仕事にとっては、これぐらいが適度な所要時間なのではないだろうか。
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