北陸本線旧線をたどって(第3回・完結編) 杉津から向こう、勾配のピークは過ぎたものの、山はますます深くなって行くようです 。谷と尾根とが交互に連続するため、数百メートル、あるいは数十メートル程度の短いト ンネルが、踵を接して掘られています。 トンネルとトンネルの間が30メートル程度しかないような箇所もあり、車をとめてし ばしたたずんでみると、石積みのポータルは半ば苔に覆われ、蒸気の吹き付けた煤煙の跡 さえわからなくなっています。黒々と口を開けたトンネルの前に立つと、この中から、見 上げるような機関車が轟音を立てて飛び出してきそうな気がします。そして、それがまた 向かいのトンネルへと飛び込んで行く・・・。 2つのトンネルに挟まれたわずかな距離の築堤に立つと、再び日本海を望むことができ ました。ここはまさしく、かつての鉄道のためだけに存在した空間です。周囲には並行し た道路や人家があるわけでもなく、山に囲まれているだけで、他には何も人工的なものは ありません。ただ唯一、自分の乗ってきた来た車がそばにあって、この車が間違いなく自 分を街へ連れ帰ってくれるだろうけれど、もしこの車もなく、自分たったひとりでこの山 中に身を置いたとしたら、どんなに心細いことでしょう。鉄道は、そんな寂しいところを 細々と縫いながら、裏日本を結ぶ幹線として働き続けていたわけです。 鉄道に乗っている間は、そんなことも感じないでただノンキに通り過ぎているけれど、 列車がレールのジョイント音を一つ刻むごとに、深く険しい山峡のわずかな路盤の上を、 一歩一歩踏みしめていることになるわけです。シートに身を沈めて居眠りするのもいいけ れど、しっかり車窓からの風景を見て、鉄道旅行の有り難さを感じなければ。そういうこ とを、今当時の様子を思い起こしては書きながら、あらためて感じています。 通り過ぎるどのトンネルも、照明設備はまったく無く、単線用であるため自動車2車線 分の幅もありません。入り口に信号を設けて交互通行にしているもの、対抗車線はトンネ ルではなく迂回路を設けているものなどさまざまでしたが、中にはそうした設備のないも のもあり、「対向車を確認せよ」といったような標識だけが建てられています。トンネル に入る前に対向車のヘッドライトの見えないことを確認してから突入するのですが、もし 中で出くわしたらどうするのかとヒヤヒヤしながら、やっとの想いで抜けるものも少なく ありませんでした。 そうしたトンネルの一つに入ったとき、「あっ」と思ったきり息を飲み、ブレーキを踏 みました。中に入るなり、濃い霧で視界がまったく閉ざされてしまったのです。すぐ手前 のトンネルではまったくそんなことはなかったのに、このトンネルだけは、内部に深い霧 が立ちこめているのです。暗闇にとりまかれ、明かりといえばヘッドライトに照らされた 白い霧と、ダッシュボードの計器板の青白い文字だけです。  「どうする・・・」 胸騒ぎを抑え、少しばかり落ち着きを取り戻すのにどれくらいの 時間、トンネルの中で停車していたでしょうか。しかし、ここまできたらもう戻れません 。ヘッドライトを上向きにすると、余計に光が反射して前が見難くなってしまい、何より 対向車の明かりさえわからなくなって危険なので、光軸を下向きにして、すぐ手前の路面 を見ながら、20キロくらいの速度でそろりそろりと進みます。 霧の密度は一様ではなく、下から立ちのぼって来るように、濃淡の帯が光の中にゆらめ いています。進むごとに姿を変えるその揺らめきの様子がまるで生きているようで、私に 何かを訴えかけているかのような無気味さです。そしてその帯の向こうから、突然対向車 が猛スピードで姿を現したその時は・・・。 どこまで進めば、このトンネルを抜けることができるのか。対向車よ来るな、早くここ を抜けてくれ、ただそれだけを必死に念じながら、どれくらい走ったのでしょうか。決し て長いトンネルではなかったかも知れません。徐行しながら抜けたので、長く感じられた だけだったのかも。  後になってみて、私をここまで駆り立てたのはこのトンネルだったのか、と納得するよ うになりました。もし、今もう一度このルートを走ったら、あのトンネルはやはり、あの 時と同じなのだろうか。確かめてみたい気もしますが、残念ながらこの旧線のルートは現 在通行止めになっており、敦賀〜今庄間の通り抜けができないといいます。  それでも、あの日本海を望む山峡に、あの私を呼び寄せたに違いないトンネルは、今で も存在していて、私に向かって、ここだよ、とささやいているかのようです。 あとがき このあと無事にトンネルを抜け、安堵のうちに下り勾配を左右にターンを重ねると、次 第に風景が開け、ちらほらと人家も現れて、今庄のわずかな平地へと出ました。右手には 北陸トンネルの出口とそれに続く築堤が見え、複線電化の太い流れが一直線に貫いていま す。こちらの路盤も、次第にそちらへ寄り添っていきます。旧線と本線がぴたりと並んだ ところが、南今庄の駅です。 実はここで、私は大きく判断を誤ったのでした。この駅のあたりの新旧両線の並び具合 があまりに密だったので、以前はここで線路が合流していたのだろうと判断してしまった のです。もう少し先まで車で進んでみても、橋を渡ったり交差点があったりで、線路跡と は思えませんでした。 しかし、つい最近買った雑誌に載った見取り図によれば、南今庄を過ぎても若干の曲折 を経て線路は続き、今庄駅の手前でやっと新旧が合流することになっています。 大きな 宿題が残ってしまったわけであり、今庄までもう一度、いつか出かけて踏査せねばならな い、と思っています。                                     (完) 注)この作品は、1997年1月、Miyuki Igamiさんへのメールに寄せて執筆したものです。