■ 第7章  弘前発10時02分の五能線深浦行きは3番線からの発車となる。これから今日1日、長いお付き合いとなる編成はキハ40とキハ48の2両。最近のローカル線で流行の軽快気動車とやらでは、大いに興ざめするところだが、「堂々たる」DC2両編成に出会えて大いに気分が乗ってくる。これで第1関門は突破である。両端のデッキ近くがロングシート、中央部がクロスシートの、地方幹線では標準的なアコモだが、国鉄急行色に塗られているのが、これまた嬉しい。  第2関門は、シートのポジショニングである。川部で進行方向が逆となって五能線に乗り入れること、海の見える側に座ることを考えれば、ここ弘前では進行方向を背にして左の窓側を確保しなければならない。幸い、各ボックスに乗客が1組ずつ程度という、適度な乗車率だったので、この課題も無事にパスした。  地元の乗客に交じって、明らかに観光客、あるいは鉄道ファンとわかる人も何組か乗っている。背中合わせのボックスは若い夫婦連れで、「どれくらいかかるの?」「5時間くらい」「ずっとこれなの?途中で乗り換えるんでしょ」という会話が聞こえてくる。私と行動パターンが全く同じなので、五能線を目当てにはるばる乗りに来たなとすぐわかる。そういう妙な人、思いのほか増えているようだ。  いよいよ発車。エンジン音が高くなる。ビロビロ、ドドドド、カラカラ・・・。様々な音が交じり会い、トーンを上げながらスピードが乗って行く。音、振動、かすかな排気の匂い。何度経験しても、キハはいいなと思う。幼い頃、夏休みに田舎へ連れていってもらったこと、連休のたびに各地を旅行した青年期等々、様々な思い出につながるなつかしい感触である。  ボタン雪をかいくぐって本線をしばらく走り、川部で数分停車の後、進行方向が変わっていよいよ五能線に進入する。しばらく本線に寄り添ったかと思うと、構内を抜けてすぐにぷいと右に向きを変える。気がつくと、すでに線路の両側は、奇妙な枝振りの果樹園でうめ尽くされている。それほど大木というわけでもないので、さくらんぼか何かのように見えるが、これはりんご畑だ。  『果樹園の見頃は収穫期だろうが、白い花をつける春も捨てがたい。もっともみごとなのはリンゴで、信越本線の長野付近や飯山線の豊野−戸狩間などで存分に見られるが、とくにすばらしいのは津軽平野を走る五能線の川部−五所川原間であろう。』(宮脇俊三 「旅は自由席」新潮文庫157ページ)  春の旅の素晴らしさについて宮脇氏にこう語らせたのは、まさにこの区間であるが、今は冬で、白いリンゴの花の代わりに、白い雪がうっすらと地表を覆っている。収穫から漏れた小さな赤い実がひとつふたつ、モノトーンの世界の中でわずかに彩りを添えている。  さすが本場、とうならせる、視界をさえぎるもののない広大なリンゴ畑の真ん中を、線路は貫いている。川部から3つめの板柳を過ぎるまで、およそ10km以上にもわたって白い築堤の上を2条のレールが一直線に伸びる様は壮大な眺めだ。今乗っているのは先頭車なので、観光客もかわるがわる最前部まで足を運んでは「まっすぐだよぉ」と唸りつつ戻ってくる。  一駅ごとに地元の客が乗り込み、座席はほとんどふさがった。五所川原へ向かう買物客だろう。特に着飾っているというわけでもないが、どことなく正月らしい華やいだ雰囲気がただよってくる。会話に耳をたててみるが、「〜べか」「んだんだ」くらいしかわからない。  10時46分の五所川原で予想通り多くの客が降り、乗車率は40%くらいになる。発車すると、津軽鉄道のレールとすぐに東西へ別れ別れになり、ここまで連れ添ってきた岩木川の流れを渡って、ひたすら西を目指す。  夜行明けで眠くなり、ついうとうとする。目が覚めると鰺ヶ沢で、16分も停車して、弘前行きと交換する。  やがて上りにかかり、クマザサと灌木の間をゆっくりと走った後、日本海を見下ろす高台に出た。ついにきたか、と感慨を覚える。天気はよく雲も切れている。空は青いが波は高い。海沿いなので雪はほとんどなく、今朝の弘前の雪景色と対照的だ。  右手遠くには、海に突き出るようにして大戸崎が伸びている。列車の進行方向とはあまりにかけ離れているが、地図を見ると、線路はあの岬の先端まで地形に忠実に敷かれている。あんなところまで回って行くのかと思う。  車窓近くに目を落とすと、海岸線に沿った車道と線路の間のわずかな敷地に、帯のように民家が連なっている。その裏口すれすれを列車は走り、「GONちゃん」の家の軒先もかすめて行く。GONちゃんは、ある民家に飼われている犬なのだが、犬小屋にかかれた「GON」という文字が読めてしまうほど、列車がすれすれに、かつ低速で走っている。こんなに近くを走られてはGONちゃんも迷惑かと思いきや、運転本数が少ないから、時計代わりぐらいにしか思っていないらしい。彼から直接聞いたわけではないけれど。  遠くに見えていた大戸崎が間近になって、「千畳敷」という駅に着く。駅前から車道をはさんですぐ目の前に、青味を帯びた奇岩の連なる景色のいいところだ。隆起海岸とでもいうのだろうか。私は関西の人間だから、千畳敷と聞けば南紀白浜、岩のそそり立つ地形を見れば串本あたりを連想する。駅前がすぐ遊歩道の入り口で、駐車場なども整備されている。  やがて、申し訳ばかりに田畑が散在する篠地にさしかかる。台地がストンと海に落ち込んだ海岸線に沿って、海抜数mの所を列車がなぞって行く。ここからは、珍しく、かつ有名な駅名が連続する。防波堤もない、砂浜と道床の境も判然としないようなところを250Rの急カーブの連続で過ぎると「風合瀬(かそせ)」、漁師の番小屋かと思った建物が近付いてみれば駅舎だったのが「驫木(とどろき)」。トタン葺の漁小屋が寄り添っているのを見下ろしながら、短いトンネルの連続と250Rを経て「追良瀬(おいらせ)」。文字面を眺めているだけで旅情に浸れるいい駅名だが、それにしてもほとんど裸同然の赤茶けた丘陵地帯の中にポツリと駅が存在したりしていて、こういう所に住んでみるとどんなものかと思う。  「『驫木』という駅がある。波の音がとどろくところというのが地名の由来だという。次の駅は風合瀬で、風がぶつかり合うところの意。日本海の風波をしのばせるが、駅があるだけで集落はない。不毛の素寒貧としたところだ。」 (宮脇俊三「日本探見二泊三日」角川文庫)  列車が200Rで大きく右に向きを変えた。さっきから急カーブが多く、フランジのきしむ音が鳴りっぱなしである。通り過ぎたトンネルや駅が、はるか左後方に弧を描く海岸線と共にいつまでも見えている。質素な作りの広戸を過ぎ、ビルらしいものも見えてきたあたりで、この列車の目的地である深浦に着いた。12時30分。 〔本稿は1998年1月から1999年3月にかけ、H.Kumaさんのホームページ「RAIL & BIKE」(http://hkuma.com/)にて、不定期連載として発表したものです〕