■ 第2章  元日は寝坊をした。昼前になってやっと正月の膳を囲み、届いた年賀状に目を通してから、あわてて返事などを書く。  毎年同じ様なことを繰り返しているが、例年と違うのは、今年は父が出かけており、正月の膳にその姿がないことである。岡山に住む叔父(父の兄)は、肝臓ガンで昨年来闘病生活を送っていたが、大晦日になって、もういよいよだという知らせが入ったため、父は急遽帰省してしまった。かなり以前から、もう長くはないとわかっていたことではあったのだが。  「もし何かあっても、3が日の間はお葬式は出さないだろうから、あなたは旅行に行ってきなさい。」と母が言う。いわれたこちらも、落ち着かない気持ちの一方で、時刻表とにらめっこしながら、自分の乗る列車と、すれ違う列車のスジなどをルーズリーフに書き付けている。  そのテーブルを囲んで、母と家内は何やらおしゃべりしながらワインを飲んでいる。子供たちは、もらったお年玉を手に「これからおもちゃを買いに行こう」とはしゃぎまわっている。いずれ訪れる親族の訃報を前に、奇妙な正月風景が展開されていた。  午後3時を回って、初志貫徹、リュック1つで出発した。中身は地図類、自分でスジを引いたダイヤ表、そしてエアバンド(航空無線)用のレシーバーや飛行経路の資料等。車中1泊だけの身軽な旅なので、着替えは靴下程度である。  パンツの換えも入れようとしたら、家内から「外でパンツ脱ぐことなんかあるのォ?」とキツイお言葉を頂いたので、やめにした。今回のタイトな日程では「正しくない行い」をしている暇など、最初からありはしないのだが。もちろん、タイトでなくても。  大阪駅へ向かう車中、待望の旅立ちのはずなのに、気分は冴えない。昨夜の星空が信じられない今日の曇天のせいか、叔父の容体を気遣ってか、はたまた正月早々家を空ける、家族へのうしろめたさか。休み明けの仕事のことまで、早くも頭の中にちらついている。それやこれやがごっちゃになっている。  5時ごろ大阪駅に着いた。発車までのひととき、旅行者として駅構内をうろうろするのは楽しい。いつもは目的地へ向けて早足ですり抜けるコンコースを、今日はあらためて噛みしめるように歩く。金と時間を費やして得た、旅行者ならではの特権であり、旅行の大きな楽しみのひとつだ。あたふたと出発して、このアバンチュールを十分に味わうことなく旅立ってしまうのは、非常にもったいないことだと思う。  しかし、深呼吸して旅の空気を吸い込んでみるのだが、まだ全身に行き渡るには至らない。まだ何かが心の中にひっかかっている。一体それが何であるのかは、自分でもよくわからないまま、10番線に上がって待つことしばし、やがて5時12分に「日本海1号」が入線してきた。  いよいよ、数日前と同じ場所、8号車の停車位置に立つ時がきた。列車の窓に自分の姿を映すと、そこには確かに、背広と鞄のサラリーマンスタイルではなく、リュックひとつを背にして、弁当と酒の入った袋を手に下げた自分がいた。  ここで私は、少なからずとまどうことになった。本当なら、同じホームの同じ場所を、時間軸をずらして2重写しにすることで、私はこの「日常と旅立ちとの落差」を、存分に楽しみ、大いに溜飲を下げるつもりでいた。しかし、実際に再びここに来てみると、2重写しにして違いを見つけて楽しむどころか、何もかもが違いすぎて、全く風景が重ならないではないか。現実生活の中の、「ハコ物(構造物)としての駅」と、旅立ちのステージである「ハレの場」としてのそれとでは、落差が大き過ぎて、とてもあの日と同じ場所にいるとは思えない。その場の空気が、あまりに違いすぎるのだ。  もちろん実際には、周囲の何が変わった、というわけではなく、これは私自身の内面の問題なのだ。不慣れなセールスマンとしての日常を送っている自分と、会社や家族から解放された、一人の個人としての自分。その環境の落差が残酷なまでに大きすぎるのだ。  とにかくここは、あの日あの時の、あの場所ではない。同じ場所ではないならば、比較することに意味はない。そう悟った私は、すぐにその場を離れた。  これは目出度いことだ。すでに今の自分は、かなりの程度まで、旅に浸っているということの証しなのだから。  発車5分前、いよいよB寝台のデッキに足を踏みいれる。薄汚れ、くたびれた内装の車内は、しかし使い込まれた懐かしい匂いがする。これは「JR」ではなく、「国鉄」の匂いだ。陶器の洗面台の脇には、へこみの目立つアルミのコップが備え付けられている。すべてが昔のままなのがうれしい。同じ「日本海」に乗って、北海道まで勇んで出かけた学生時代のことがありありと思い出されてくる。  車内放送が、まもなく発車だということを告げる。通路の壁面から腰掛けを出して座り、ホームを眺めながらじっとその時を待つ。  本当なら、窓ガラスの向こう側には、サラリーマン姿をしたもうひとりの私がいるはずだった。あの日私はホームに立ち、車内から手を降る自分の姿を見たのだから。しかし、デッキの折り戸が閉じられ、外界と遮断された瞬間に、確かに何かがかわった。もう後戻りすることはない。現実から完全に解放され、今「旅人」となった私は、窓外に過去の自分を探すことを、すっかり忘れてしまっていた。 〔本稿は1998年1月から1999年3月にかけ、H.Kumaさんのホームページ「RAIL & BIKE」(http://hkuma.com/)にて、不定期連載として発表したものです〕